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『広島市安佐町の大地』見直し作業に協力

行事報告

『広島市安佐町の大地』見直し作業に協力

会員 新枝 幹夫

まえがき
 広島市の「安佐町史」は、安佐町が広島市に編入合併直後の昭和52 (1977) 年に刊行されています。この町史の前段部分に安佐町の地形・地質について記載されていますが、この町史の作成年代以降において、地質学の理論は従来の地向斜理論からプレートテクトニクス理論へと大幅に変貌をとげました。現在では大地震が起こる度にテレビなどのマスコミで、このプレートテクトニクスのモデル図が登場しますので、社会的に広く知られるようになりました。
 プレートテクトニクス理論はいろいろな機会で知ることがありますが、簡単に説明すればつぎのように言えるでしょう。
・数億年~数千万年という地質時代的な長い時間軸でみると、地球上の大陸は分離、移動、衝突、集合を繰り返している。
・大洋底の裂け目から噴出したマントル物質はプレートと呼ばれる板状の岩盤をなし、まるで対流するように大陸部に移動し続けており(年間数~十数cmの速度)、海洋地殻をなすプレートは大陸を構成する岩石より密度が大きいため、大陸縁辺部で大陸の下に潜り込んでいる。
・この潜りこみ部分では、海洋の堆積物や岩石が大陸縁辺部に付加されている(これを付加体と呼ぶ)。従来から「地層累重の法則」と言って、旧い時代の地層が下部に、新しい地層が上部にあることが常識とされていたが、この付加体の概念が確立されてからは、新しい地層が旧い地層の下部に付加されるということであるから、「地層累重の法則」も当てはまらないことが多くある。
・潜り込み部分では、大陸地殻と海洋プレートが激しくぶつかり合うため、ひずみが溜まり、岩石の強度を越えると破壊が周期的に起こり(断層活動)、地震が頻発する。
・この地下深くに潜り込んだ堆積物等は、高温高圧にさらされるため、原岩とは似ても似つかないような結晶片岩などの変成岩に変わる。

 「動かざること大地のごとし」という言葉がありますが、「大地は動くもの」と言う概念に変わりました。一昔前までは、現在地の岩石は元々現地で形成されたものと思われていましたが、実は日本のはるか南方からプレートにのって運ばれてきた岩石が多数あるというのです。

 このため、主に旧理論を元にして書かれていた町史をこの際に見直そうという安佐町郷土史研究会の依頼を受けて、東広島市自然研究会の沖村顧問(広島大学名誉教授)がこの「安佐町の大地」部分の見直し作業をボランティア精神で行われましたので、土岡会長、会員の道野忠司さん、新枝幹夫が現地踏査に協力いたしました(平成24年4~5月)。
 報告書作成は沖村先生が同年5~7月に行われましたが、その報告書を引用させて戴きながら見直し作業の過程について報告いたします。

1.準備作業
 現地踏査に当たって基礎資料となるものが地図(地形図)です。地図にはいろいろなものがありますが、等高線や河川などが明瞭に記載されているものでないと利用できません。国土交通省国土地理院発行の1/5万、1/2.5万などが最も普遍的です(図面の大きさは横幅57.5cm、縦幅46cm)。安佐町の場合、1/5万地形図(等高線間隔20m)は、図幅名称「加計」、「広島」の2枚にわたります。このような縮小率の大きい図面は、比較的小さい図面に広い範囲が含まれていますので取り扱いには便利ですが、国道、県道、大きい市道しか記載されていませんので、現地に入ると現在位置が分かりにくいです。一方、現地踏査を行う場合には、縮小率が小さい地形図(たとえば1万分の1)が、細かい道路(狭い市道、林道、山道など)、地名(小字)、橋梁名、建物名称等が記載されていることや、等高線間隔が細かい(1/1万で10m間隔)ので傾斜変換点や細かい谷などが分かりやすくて使いやすいです。
 以上より、現地踏査用には広島市都市整備公社所有の1/1万の地形図を購入しました(昭和63年撮影の空中写真によって作成された地形図で、時々修正が行われており、青焼きで販売されています。図面は横幅120cm、縦幅87cmと大きく、安佐町は4枚にわたります。価格は1枚450円)。また、まとめ用には、国土地理院発行の1/5万を購入しました(1枚290円)。

2.安佐町の位置・地勢
 広島市安佐北区安佐町は広島市の最北端に位置し、大字でいうと、北から「鈴張」、「小河内」、「飯室」、「久地」、「毛木」、「筒瀬」などです。北部には北東~西方向に中国自動車道が走り、延長約3.6kmの牛頭山トンネル(中国自動車道で最長)がほぼ東西に貫いています。また、飯室には広島北JCTがあります。ここで分岐した広島自動車道(山陽自動車道との連絡道)が南に向かって走っています。飯室には広島北ICもあります。
 安佐町の大部分は山地部が占める農山村ですが、最も南部には、「あさひが丘」、「くすのき台」などの大規模住宅団地が昭和40~50年代に開発され、「あさひが丘」に隣接して広島市安佐動物公園があることでよく知られています。また、鈴張には昭和50年代に「星が丘」という大規模住宅団地が作られています。
 安佐町は、北部は北広島町、北西部は安芸太田町、西部は佐伯区湯来町、東部は安佐北区可部、南部は安佐南区と接しています。

3.安佐町の地形概要
 廿日市市吉和に源を発する太田川が、安佐町の中央部を北西~南東方向に蛇行を繰り返しながら貫流しています。この太田川の穿入(せんにゅう)蛇行が安佐町では非常に特徴的で、安佐町の地形を二分しています。
 安佐町の北東部(鈴張)はこの太田川水系の端に当たります。北側は北広島町と接していますが、北広島町の旧千代田町は日本海に注ぐ江の川水系であり、安佐町の北東端は両水系の分水嶺です。
 広島県には南西~北東方向の構造線(断層)が多く発達していますが、この安佐町でも久地~飯室~鈴張にかけて、明瞭なリニアメント(空中写真や地形図で読み取ることができる地形的線状模様)が認められます。おそらく断層と考えられます。
 このリニアメントの北側には、同一方向に北から片廻山(682.0)、牛頭山(672.6)、本串山(572.8)、冠山(573.0)、尻高山(556.7)など標高500mを越える山々が連なっています。
安佐町の地形は、
・穿入蛇行を繰り返す太田川と両岸の急峻な地形(太田川沿いは標高100mと低く、両岸の山腹は河床から200m以上の標高差をもつ。安佐町中部と仮称)
・太田川より北側の標高300~500mの緩傾斜地帯(安佐町北部と仮称)
・太田川より南側の標高100~300mの緩傾斜地帯(安佐町南部と仮称)
と3分割されます。
 この見直し作業に先立って行われた安佐公民館における沖村先生の講演会で、先生は安佐町の地形地質の特徴としてこれらを指摘されていました。したがって、現地踏査はこれらの地形と地質の関係を確認することがポイントでありました。

4.安佐町の地質(現地踏査)
 前述しましたように、1/1万の地形図4枚を携えて、延べ日数10日余りの現地踏査を行いました(延べ人数29人)。地質踏査では露頭を確認し、ルートマップを作成します。露頭とは表土、土壌、転石などの中から基盤岩が露出していて肉眼で岩石名を確認できる所をいいます。もちろん、土石流や段丘堆積物などの未固結堆積物は基盤岩ではないですが、これが広く露出していれば、これも露頭ということができます。露出している岩石は新鮮なものが確認しやすいですが、ある程度風化していても原岩組織が残っていれば確認はできます。
 ふつう崖は絶好の地質確認箇所ですが、近年は防災対策として、自然の崖にはモルタル吹付けや金網ネット、人工切土箇所にはさらにコンクリート法枠、コンクリートブロック積み擁壁などが多数施工してあるため、このような所では地質を肉眼で確認することができませんので、地質踏査的な意味では露頭と言えません。安佐町でもこのような人工的に塞がれた所が非常に多いため、小さい露頭を探して歩きました。確認した露頭は350箇所あまりになります。また、露頭が見つからない場合には、山腹や谷に落ちている転石の岩種を確認しました。
 ルートマップとは、地形図上にこれら確認した露頭の位置や岩石名を記入し、後で分かりやすいように着色したものを言います。断層・地層・卓越する割れ目の方向や傾斜等も記入します。これに基づいて解釈を加えて地質図が作成されます。
 以下には、昭和38年発行の1/20万広島県地質図と、今回の現地調査により得られた新しい知見を合わせて、安佐町の地質について述べます。
 安佐町の地質構成は比較的に単純で、地質時代的に旧い順におよそつぎのようになっています。
・中生代ジュラ紀の玖珂層群(付加体)。太田川沿いの安佐町中部に分布。
・中生代白亜紀後期の火山岩類。いわゆる高田流紋岩類や吉舎安山岩。安佐町北東部の 片廻山や堂床山に分布。
・中生代白亜紀の花崗斑岩の岩脈。玖珂層群中に多数分布。
・中生代白亜紀末期の花崗岩類。安佐町北部および南部に分布。
・斜面崩壊再堆積物(土石流など)。安佐町北東部に分布。

■玖珂層群(付加体)
 岩質的には、均質泥岩、含礫泥岩、砂泥互層(1~数mmで互層)、塊状チャート、縞状チャート、石灰岩など多様なものがあります。近年はこれら多様な異地性岩石(形成された場所も環境も異なる)が入り混じっている玖珂層群の地質名は「混在相、混在岩」などと総称されています。太田川沿いおよび久地の宇賀峡付近に広く分布し、下部の花崗岩の上に載る、いわゆる「キャップロック」の形状で分布しています。後から貫入した花崗岩による熱変成作用を受けて、ホルンフェルス化しているところが多く認められます(熱変成鉱物が生じています)。
 久地の宇賀峡唐音では、縞状チャートが滝をなして美しい景色を見せています。
同じく久地宇賀峡では、石灰岩部分が溶けて空洞となり、中に少しだけ石灰岩が残っています(泥質のため黒色を呈する)。「千仏洞」と呼ばれています。
 久地の金山には石灰岩の大露頭があります。石灰岩に伴う熱水脈鉱床の鉱山がかつて稼行されており、現在ズリとして磁硫鉄鉱、黄銅鉱などを含む鉱石が散在しています。石灰岩は熱変成作用を受けており、再結晶した大きな方解石の結晶が認められます。
 筒瀬には大規模な採石場があり、玖珂層群の岩石を採石しています。
 玖珂層群分布域では、谷の水をホースで引水して生活用水として使用しているケースがたくさん認められます。玖珂層群では、マサのような強風化帯がほとんどないため、地下水の保水性に乏しく、井戸では十分な水量が得られないことによるものと考えられます。

■花崗斑岩(岩脈)
 安佐町久地付近の玖珂層群中に、北西~南東方向に帯状に多数分布しています。玖珂層群中の断裂系に沿って貫入したものと考えられます。長石の短冊状自形結晶は1cmを越えるものが認められます。また、玖珂層群との接触部付近では急冷して細粒になっています。色調的には、青灰色やベージュ色を呈します。

■流紋岩類
 安佐町鈴張の片廻山に分布しており、黒色を呈する流紋岩質溶岩、流紋岩質凝灰角礫岩などからなります。鈴張東谷から片廻山を見ると、急峻な地形をなしています。
 鈴張東谷には、通称「八畳岩」と言われる流紋岩の巨大転石があります。

■吉舎安山岩
 安佐町と可部との境界に当たる堂床山の頂上付近に分布するとされています。堂床山から発する河川には、この安山岩と思われる青黒色の転石が多く認められます。

■花崗岩類
 安佐町の北部および南部に広く分布しています。白灰色を呈する等粒状の黒雲母花崗岩が最も多いですが、鈴張の片廻山林道や飯室の布には優黒色の花崗閃緑岩、久地ではベージュ色の細粒花崗岩や白色の細粒緻密な珪質岩(アプライト)、久地の高山林道ではペグマタイト(カリ長石や石英の大きさが5cmくらい)などもあります。
 久地高山では玖珂層群と花崗岩が断層で接しています。断層の方向は南西~北東方向で、断層破砕帯の幅は約6mです。
 この花崗岩は山頂付近に近づくに伴い、深層風化して厚いマサ土(10~20m以上)を形成しています。

■斜面崩壊再堆積物
 安佐町鈴張には土石流堆積物が広く分布しています。中国自動車道安佐PA(下り)には、工事中に出た土石流中の巨石(数十cm~数m)がたくさん並べてあります。片廻山林道では、沢沿いに岩塊が厚く重なっているところがあり、いわば土石流予備軍を形成しています。西谷の片廻山林道の切土部には、みごとな土石流堆積物(マサと大きな角礫が混合)が露頭しています。
 鈴張の東谷川、西谷川は河川勾配が急で、下刻浸食作用が強かったと考えられ、これに伴い流紋岩類、花崗岩類の斜面崩壊が度々あったものと推定されます。これらの斜面崩壊堆積物と基盤の厚いマサが、集中豪雨により土石流を発生しやすくしていると考えられます。平成11年には集中豪雨により大規模な土石流災害が発生したため、鈴張川の支流に大きな砂防堰堤が作られたり、鈴張川および支流の大規模な河川改修が行われました。土石流の分布範囲は、地形的に急に緩斜面となるところが相当するものと考えられます。
 なお、東谷川、西谷川沿いには、河岸段丘面が形成されています。
 また、鈴張の行根や小河内の本郷付近は閉ざされた低平地形を呈しており、堰き止め湖的氾濫原堆積物からなるものと考えられます。

■太田川の穿入蛇行について
 前述のように、安佐町には南西~北東方向の断裂系が顕著ですが、玖珂層群中にはこの方向にほぼ直交するような花崗斑岩脈が多数発達しています。これも玖珂層群中の断裂系に貫入したものと考えられますので、太田川の穿入蛇行は、これら両方の断裂系に支配されて形成されたと考えられます。断裂のところでは岩盤が破砕されて脆弱となっていますので、太田川はこの部分を深く浸食し、攻撃斜面の崖を形成しています。一方、対岸の滑走斜面には堆積物を残して広い河岸段丘面を形成しています。

あとがき
 この度、沖村先生と40数年ぶりに宿を共にして、現地踏査に同行するという好運に恵まれました。長年、世俗の泥水にまみれていた私にとって、この期間は学生の時に戻ったような新鮮な毎日でした。野外科学のおもしろさを改めて実感し,充実した日々を与えて戴いた沖村先生に感謝申し上げます。

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P-1 鈴張・流紋岩からなる片廻山を東谷から望む(急峻な地形)

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P-2 鈴張・片廻山を西谷から望む。西谷川両岸に段丘面が発達する

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P-3 鈴張・片廻山林道・黒色流紋岩の露頭

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P-4 鈴張・片廻山・黒色流紋岩

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P-5 鈴張・東谷・流紋岩の巨転石(通称「八畳岩」)

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P-6 鈴張・片廻山林道・花崗岩や流紋岩の岩塊が重なっている

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P-7 鈴張・西谷・土石流堆積物の露頭

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P-8 鈴張・安佐(PA)・中国自動車道工事中 に出た土石流の岩塊が集められている

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P-9 小河内・小峠・花崗岩の露頭 (シーティングジョイント発達)

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P-10 飯室・布・花崗閃緑岩

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P-11 久地・高山林道・花崗岩の露頭

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P-12 久地・高山林道・強風化花崗岩(マサ)の露頭

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P-13 久地・高山林道・カリ長石(5cm)や石英のペグマタイト(自然光で撮影)

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P-14 久地・高山林道・カリ長石に紫外線短波を当てると赤い蛍光色を発する

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P-15 久地・宇賀峡・花崗斑岩の露頭(長石の自形結晶は1cm以上もある)

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P-16 久地・宇賀峡・花崗斑岩(高温型石英が明瞭)

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P-17 久地・宇賀峡東方・花崗斑岩

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P-18 久地・高山・花崗斑岩の露頭 (規則的な節理発達)

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P-19 小河内・野冠橋南方・花崗斑岩

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P-20 小河内・小浜・花崗斑岩の露頭

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P-21 久地・川井・玖珂層群・砂泥細互層(1~数mmの互層)

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P-22 久地・宇賀峡・玖珂層群・泥岩

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P-23 小河内・黒瀬・玖珂層群・砂泥互層の露頭(花崗岩に近くホルンフェルス化)

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P-24 久地・安佐トンネルから出た含礫泥岩(混在岩)

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P-25 筒瀬・採石場・玖珂層群

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P-26 筒瀬・採石場・玖珂層群(泥岩・チャート・砂岩が細かく混在)

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P-27 久地・宇賀北西・玖珂層群と花崗斑岩の接触面の露頭(右側が花崗斑岩)

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P-28 久地・高山・玖珂層群と花崗岩の間の断層破砕帯(幅6m位)

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P-29 宮野西方・玖珂層群・チャートの露頭

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P-30 宮野西方・玖珂層群・チャート

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P-31 久地・宇賀峡(唐音)・玖珂層群縞状チャート

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P-32 久地・宇賀峡(唐音)・玖珂層 群縞状チャートの露頭

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P33 久地・宇賀峡(千仏洞)・石灰岩(石灰岩が溶けて空洞になっている)

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P-34 久地・宇賀峡(千仏洞)・玖珂層群 少し残っている石灰岩(カレンフェルト)

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P-35 久地・宇賀峡(千仏洞)・玖珂層群・ 石灰岩(泥質なため黒色を呈するが希塩酸 で発泡している・・・白色部)

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P-36 久地・金山・石灰岩の大露頭(鉱山の坑口は塞がれて不明)

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P-37 久地・金山・熱水鉱脈に伴う方解石の大きい結晶(自然光で撮影)

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P-38 久地・金山・方解石に紫外線短波を当てると赤い蛍光色を発する

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P-39 久地・金山・磁硫鉄鉱や黄銅鉱を含む鉱石(ズリ)

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P-40 久地・金山・泥岩の周囲に熱水脈(転石)

会報「東広島の自然」No.45 2014.3発行 掲載

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