ブログ/2013-05-20
雨中の史跡ハイキング
ミーアキャットです。
5月19日,広島県山県郡北広島町の吉川元春館跡『戦国の庭歴史館』主催の史跡ハイキングに参加しました。
コースは北広島町の,壬生(みぶ)城跡→壬生神社→山県少輔五郎信春の墓です。当日は,あいにくの雨でしたが決行となりました。総勢20人です(写真-1)。少々寒いので,合羽を二重に着て,長グツと傘のフル装備です。
壬生城跡は標高358m,麓からの比高90mと低い山です。登山道には花崗岩の強風化帯(マサ)が続きます。その厚さは20~30mはありそうです(写真-2)。
頂上にはあっという間に登れました。雨で煙ってはいましたが,いちおう頂上からは壬生の町が一望できました(写真-3~5)。
写真-5
城跡には,日の丸が掲揚してありましたので,毎朝,どなたかが掲揚に登られるのか聞いてみましたら,年中掲揚し放しで,旗の端がちぎれていると言われていました(写真-6)。
写真-6
壬生神社(壬生八幡宮)は,毛利元就が大檀那として造立した大きな神社です(写真-7~8)。1551年の毛利元就の棟札が残されているそうです(天文廿稔辛亥歳・・・大檀那大江朝臣元就・・・)。
雨が降るので,拝殿の中で説明を聞くことになりました(写真-9)。
写真-9
棟札の裏には,寄進されたお金とか俵とか書いてあるのですが,特徴的なのが『鉄』だそうです。『鉄一駄』,『鉄一束』などと書いてあります。この地方が,昔から鑪(たたら)製鉄で栄えていたことを表していますね。『駄』については,馬の背の両側に振り分けて乗せた荷を数える語句と教委の方から教えてもらいました。
北広島町の一武家の歴史ではありますが,室町幕府の足利義植(よしたね),足利義植を擁して京に攻め上った山口の大内氏,さらには山陰の尼子氏,東広島市の平賀氏,広島市安佐南区の武田氏・香川氏,安佐北区の熊谷氏・戸坂氏,安芸高田市の毛利氏,北広島町の壬生氏・高橋氏・山県氏・吉川氏と,当時の敵味方の攻防の話がどんどん出てきました。当時は偉い人は馬,その他大勢は徒歩でしょうが,その行動範囲の広さには驚きます。
途中で,先日ヌシさんが掲載されたのとよく似た,土蔵造りの廃屋が印象的でしたので記録しました(写真-10~11)。
写真-11
また,田植え後の余った苗が植えてある一角がきれいで,これも記録しました(写真-12)。
最後は,壬生城主であったとされている山県少輔五郎信春の墓です(石碑にはこのように書いてありますが,教委の方の話によりますと,庄野五郎とも言うと聞きました)。小さめの宝篋印塔です(写真-13~14)。
墓所の一角には,城主の没後,320年,400年,450年(昭和63年)の記念碑が並んで建っていました(写真-15)。地元の方の思い入れが分かるような気がします。
壬生の町は,ユネスコの世界無形文化遺産『壬生の花田植』の幟がいっぱい立っていました(写真-16,雨が強くて車の窓から撮りました。幟の裏側で,すみません)。6月2日に壬生の花田植えが行われるそうですが,飾った牛は上記の壬生神社から出発するそうです。
ところで,この花田植えの準備で,壬生神社付近の草を刈られたり,竹を焼いたりしておられる方を見かけましたが,なんと菅笠が阿波の国,平家の落人の里・・・『祖谷のかずら橋』と書いてあるのです。昔何度か訪れましたので,急に懐かしくなり,お願いして写真を撮らせていただきました(写真-17~18)。
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