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ブログ/2013-11-19

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吉水園(よしみずえん)

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写真1 

ミーアキャットです。
 広島県安芸太田町加計(かけ)の吉水園です。6月と11月に一般公開されています。入口の看板やパンフレットにはつぎのように書いてあります。

・吉水園は江戸時代の半ばの天明元年(1781)の春,加計隅屋16代当主の佐々木八右衛門正任(まさとう)が,この辺りの景観と地形に着目し,山荘として建設を思い立ったものです。
・この庭園は,天明元年(1781)に着工し,2年を経て竣工しましたが,その後同8年に京都の名庭園師・清水七郎右衛門によって改造を加えられたものです。
・清水七郎右衛門は,浅野家泉邸(縮景園)の改修も手懸けており,造園の大家であったといわれています。
・この名匠の手になった芸術の香り高い建築美と林泉のたたずまいは,観る者をして吾を忘れしむるようであります。殊にその遠景並びに地形の利用,亭と庭との配合は,入神の枝であって,亭上より薬師堂の暗い森を右にして,遙かに太田川を見渡すあたりの眺望は,真にこの手家の白眉でありましょう。

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写真2 吉水園の入口

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写真3 同上

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写真4 吉水亭

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写真6

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写真9 亭上より薬師堂の暗い森を右にして,遙かに太田川を見渡す(上記の文章を引用)

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写真10 吉水亭の裏から湧水

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写真12

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写真13

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写真14

 さらに,パンフレットを部分的に引用しますとつぎのようです。
・昔から,吉水園に来遊した文人墨客は少なくありません。文化4年(1807)には広島藩主浅野斉賢(なりたか)が従者400人を率いて来園,文久元年(1861)には同藩主浅野長訓(ながみち)が休憩,庭内を回遊しました。
・近年には,俳人の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう),山口誓子,鷹羽狩行(たかはしゅぎょう),児童文学作家の坪田譲治,ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹夫妻,洋画家の岸田劉生,日本画家の東山魁夷夫妻,第56・57代内閣総理大臣の岸信介が来園しています。
・昭和26年(1951)に,広島県の名勝の指定を受けました。
・特に作家の鈴木三重吉との縁が深く,入口に文学碑があります。
 明治39年(1906),作家の鈴木三重吉が同じ夏目漱石門下であった親友の加計正文(隅屋22代)を訪れ,初秋のほぼ1週間を吉水亭に滞在,ここで得た題材を構想して,名作『山彦』を書きました。

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写真15 鈴木三重吉の暖簾

 ここ吉水園では,モリアオガエルが5月上旬から6月下旬にかけて卵塊を下げることで知られています。昭和27年(1952)に,『吉水園のモリアオガエル』として広島県の天然記念物に指定されています。

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写真16 上手にスケッチされている方がおられました

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写真17 吉水園の所有者・加計八右衛門さん宅

(この吉水園は,当自然研のエコバスツアー2009.10.25に訪れておられることが,当HPの記事にあり,詳しく書かれています ; エコバスツアー『まるごと西中国山地』に参加して)



コメント

  • 写真1の水に映る「逆さ茅葺き」えぇのー。 -- かやネズミでがんす 2013-11-19 (火) 08:34:42
  • 殿様気分で錦秋と茅葺き屋を愛でさせてもらいました。画像にタッチすると、素晴らしい色合いで大きな画面。ミーアさんありがとう。 -- ヌシです 2013-11-19 (火) 15:31:54

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