ブログ/2014-02-13
戊辰(ぼしん)明治 芸州藩戦死者墓
ヌシです。
慶応4年頃の幕末の動乱、明治維新時の“戊辰戦争”で亡くなった広島の関係者を回向しているお墓だと思います。私の身長ぐらいの小ぶりなお墓ですが、拝み石には供養されているお名前が3面とも刻まれています(写真1)。いわゆる“幕末諸隊”の隊士が含まれているのかどうか充分調べたいと思います。
実はこの芸州藩のお墓は東京高輪(たかなわ)泉岳寺にあります。泉岳寺と言えば「忠臣蔵、赤穂浪士」が有名ですね。ちょっとミーハーなヌシは、赤穂四十七士のお墓参りをしたく泉岳寺を訪ねました。品川駅からタクシーで数分のところです。墓所はきれいでした。“赤穂浪士”の墓石群には写真撮影を自ら遠慮させるほど厳粛な雰囲気がありました(写真2、写真3)。
平日の夕刻だったにもかかわらず、お参りの方もぼちぼちあり、外国人のカップルも来ておられました。手前、正室の遥泉院さん(阿久里姫)ブログ/2013-11-25「尾関山公園」に詳しい-のお墓(写真4)、浅野長矩さん(内匠頭)の墓(写真5)、一段高く大石良雄ほか“赤穂浪士”の墓石群があります。この左奥にさきほどの芸州藩の墓です。「広島のお墓がどうしてここにあるのだろうか?」という単純な疑問です。事情をご存知の方は教えてほしいものです。
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