ブログ/2014-06-04
音戸の瀬戸 (1)
ミーアキャットです。
平清盛が一日で開削したと伝えられる広島県呉市の音戸の瀬戸。呉市警固屋にある”音戸の瀬戸公園”の最も高いところに位置する高烏台(たかがらすだい)から,この音戸の瀬戸が一望できました(写真2)。
この高烏台には平清盛の『日招き像』が建っています。1165年,平清盛はこの瀬戸を一日で開削すべく,この場所に立って西に沈む太陽を招き返し,この難事業を完成させたという伝説に基づくものです。烏帽子をかぶり,右手に扇を西に高くかざしています。音戸の瀬戸開削800年を記念して1967年に建立されたものだそうです(写真3~5)。
音戸の瀬戸は,幅が約90m(可航幅約60m),水深は約15mで,潮流も速いため,ここを航行する船は速度をぐんと落とします(写真6~9)。
ここには,1961年(昭和36)に螺旋ループ式の取付道を持つ音戸大橋(橋長172m)が架けられました(写真10~11)。
ところで,この音戸大橋のすぐ北側に,日本一短い航路と言われる『音戸の渡し船』があります(写真1)。以前より,一度乗ってみたいと思っていたのですが,やっと叶いました。本土側(呉市警固屋)の”音戸の瀬戸公園”に駐車して,案内板に沿って狭い階段を降りて行き海岸に至りますと,船着き場がありました(写真12~13)。
時刻表はなく,お客さんがいればいつでも出港してくれます。桟橋に出てみたら,渡し船が係留してありましたが,対岸の音戸側の桟橋にいた船がすぐに迎えに来てくれました。
船の中に料金表が張ってあり,大人一人70円でした。船の中で支払います(写真17)。
航行時間は3分くらいです。説明板によりますと,この渡し船は江戸時代から続いているそうです(写真19)。
音戸大橋のたもとの海側に『清盛塚』があります。清盛がこの瀬戸を開削する際に,人柱の代わりにお経の文字を書いた石を沈めて完成させたという功徳を称えるもので,1184年建立だそうです。中央に宝篋印塔があります。1951年に広島県の史跡に指定されています(写真21)。
帰りは音戸側桟橋からまた渡し船で本土側へ帰りました(写真22)。いくら音戸大橋で陸続きになっているとはいえ,徒歩や自転車で音戸大橋のループを登るのは大変です。その点,この渡し船は,速い・安い・楽なので,利用される方が絶えないのでしょう。
船長さんに聞きましたら,各地からこの『日本一短い渡し船』に乗りに来られるそうです。『また遊びにおいでなさい』と言われました。
小高い音戸の瀬戸公園まで階段を登りながら瀬戸を振り返ると,海峡の中程を渡し船が航行しているのが見えました。また,お客さんがあったようです(写真23)。
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