ブログ/2014-08-16
蒸気機関車
ミーアキャットです。
JR山陽本線の三原駅(現糸崎駅)~広島駅間開通120周年を記念した特別企画展「山陽鉄道ものがたり」展が三原市で開催されましたが(三原市・市教育委員会主催),その一環行事として行われた,蒸気機関車(C57型)の特別公開に参加しました。蒸気機関車は三菱重工(株)三原製作所内に保存されています。
企画展の図録より,山陽本線の歴史を簡単に引用しますとつぎのとおりです。
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・明治27年(1894)6月10日に山陽本線三原駅(現糸崎駅)~広島駅間(約74km)が開通して,平成26年6月10日に120周年を迎える。
・現在の山陽本線の神戸~下関間(528.1km)は,明治21年設立の私鉄の山陽鉄道会社によって建設が進められた。
・広島まで開通した明治27年は日清戦争開戦直前の緊迫した時期であり,広島停車場から宇品港への鉄道が敷設された。
・山陽鉄道は他の官私鉄と異なり,瀬戸内航路との競争という問題を当初から抱えていた。
・そのような厳しい競争のもと,顧客獲得のために,運賃半額(期間限定)という思い切った施策で,鉄道が庶民にとって身近な乗り物としての意識を広めたほか,食堂車,寝台車,赤帽,列車ボーイ制度などの最先端のサービスを他社に先駆けて次々と実行した。
・明治39年(1906)12月に山陽鉄道は国有化され,逓信省鉄道作業局の管轄下になった。
・明治45年には特別急行列車が新設され,東京~下関間を25時間で結んだ。
・大正末期から昭和初期にかけて,安全性の確保とスピードアップのため,自動連結器の採用,客車車体の木製から鋼鉄化の実施,空気ブレーキの採用が進められた。
・昭和19年に山陽本線の全線複線化が実現した。
・昭和50年3月10日に山陽新幹線が博多まで全通すると,在来線の特急,寝台車は次々と姿を消し,現在山陽本線を走る特急,寝台車は皆無となっている。
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三菱重工(株)からもらった『帰ってきた”貴婦人”』というパンフレットにはつぎのように書いてあります。
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C57型蒸気機関車は,昭和10年代の旅客列車牽引用標準型式として,わが国独自の設計により,昭和12年から登場しました。同形は全部で201両が製造され,そのうち106両を三菱重工が製作しました。戦前の74両は当所開所前であり,神戸造船所が製作にあたりましたが,戦後の32両は当所で製作しました。近代的でスマートな形態美は国鉄機関車中随一といわれており,小づくりでボイラーも細く,繊細で東洋的な顔立ちから”貴婦人”のニックネームで親しまれ,かつ運転しやすく,わが国蒸気機関車の傑作といわれています。
当社で生まれ,金沢,米子,岡山の機関区を36年間その華麗な姿で活躍したこの”貴婦人”も今やその役目を終え,ようやく休みを与えられ,当所に帰ってきました。
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C57-76蒸気機関車の性能・履歴はつぎのように示されています(同パンフレットより)。
全長 20.3m 高さ 3.9m
運転整備重量 116.15t 馬力 1,040ps
最高速度 100km/h
製造 昭和13年9月17日(三菱重工神戸造船所)
廃車 昭和48年7月26日
全走行キロ数 228万5,600km(地球を約75周する距離)
この機関車を実際に運転しておられた方から説明を受け,運転席に入らせてもらいましたが,かなり狭かったです(写真11)。機関車の外観はピカピカに磨かれていて,引退後も大切に保存されている様子がよく分かりました。
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