ブログ/2018-12-04
小説「神峰山」(かみのみねやま)
小ヌシです。
幕末、東広島市志和町に本陣があった「神機隊」をモチーフにされた「二十歳の炎」という歴史小説と出会ってから、著者の穂高健一先生作の小説を読んでいます。
10月、先生によって新しく刊行されました。写真1
小ヌシの近くの大崎上島のシンボル、「神峰山」と題されて、戦後の厳しい時代を生きた薄幸な女性たちの姿、生き様や戦争の非情さなどが中編5作に描かれています。小ヌシはこの時代の庶民の姿を初めて具体的に教えてもらえたような気がしています。写真2
小ヌシは昭和30年代半ばから、瀬戸内に面した小さな町の小さな米屋に育ちました。その町にもこの小説同様の遊郭があり、店のお客さんの中には元女郎だった方もおられました。しかし、そのころの町の雰囲気は憶えていますが、その詳細は知りませんでした。まわりは振り返る間がなかったのか、振り返りたくなかったのか・・・。写真3,4
写真3 遊郭のあったところから大崎上島神峰山?(遠景右側のとがった山頂の山)を望む
いろんなことを思い出し、考えさせられる大切な本になりました。
先生に感謝の気持ちを伝えたいです。ありがとうございました。
以下 HP「穂高健一ワ-ルド」http://www.hodaka-kenich.com/Novelist/ よりコピーして貼り付けました。
神峰山の山頂付近から。眼下の集落が木江港
【作品の狙い】
戦争は人と人が殺し合うもの。戦場や戦禍を描くだけが戦争小説ではない。敗戦、休戦で、庶民に平和がきたわけではない。
太平洋戦争が昭和20年8月15日に終わった。軍人政治家たちは社会を破たん・破局させたまま、政治舞台から降りていった。無責任にも政治責任を負わない。
「戦後の日本」は無政府状態に陥り、庶民はどん底の悲惨な生き方を強いられた。人間は悲しいかな、さらなる弱者、底辺層が生み出されていく。戦争が残した非情さ、抗うことができない運命のなかで生きる、女郎たちと男たちの悲しみの日々を中心に描いている。
昭和20年代の生きることに必死だった戦後の庶民の姿こそが、『2度と戦争をしてはならない』という歴史的な証言である。それを小説のテーマにおいた。
登場人物は5編とも、魅力的に克明に描いた。それぞれが逆境のなかで、前向きに必死に生きている。結果は途轍もなく不幸だったにせよ、涙なくしては読めない作品になっている。
舞台のプロアナウンサーすらも、涙声の連続で朗読したほどである。
以上、小ヌシが勝手に引用させてもらいました。
読書中、私も強く胸をうち、涙がこみ上げてきました。
当会の参考記事↓
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