ブログ/2021-12-06
東広島市安芸津町風早「万葉の里 祝詞山神社」に行きました
小ヌシです。
呉市安浦町出身の画家の故南薫造さんがよくモチーフにした安芸津町三津湾の島々の位置を考えていると、地元の方々が「万葉集にも詠われている二首」をとても大切にしていることを思い出し、先日、このお宮にお参りしました。数十年ぶりです。
写真1-1,2,3
いまから遡ること約1300年。奈良時代、聖武天皇の御代、朝廷は朝鮮半島に「遣新羅使」を送っていたようです。天平八(736)年、その遣新羅使一行の誰かが詠んだとされる「風速(かざはや)の浦に船泊(ふなどま)りの夜に作る歌二首」が万葉集巻十五に記されています。「風速の浦」は現在の三津湾の安芸津町風早近辺と考えられていて、地元の「祝詞山(のりとやま)神社」には、「万葉の里」として歌碑や陶壁などが作られています。
立派な社殿です。写真2
県の天然記念物のコバンモチの群落。市の重要文化財の棟札の解説看板。写真3-1,2
妻を想う夫の歌:我が故に妹嘆くらし風早の 浦の沖辺に霧たなびけり (巻15-3615)
妻を想う夫の歌:沖つ風いたく吹きせば我妹子が 嘆きの霧に飽かましものを (巻15-3616) 写真4-1,2
夫を想う妻の歌:君が行く海辺の宿に霧立たば 我が立ち嘆く息と知りませ (巻15-3580) 写真5-1,2
風待ちか汐待かは分かりませんが、風早付近で船泊の一泊。霧が出てきたようです。玄界灘の危険な渡海を前にして、ひととき、残してきた妻を想う歌ですね・・・。
財満進氏作の大きな陶壁 写真6
お宮から風早の浦方向 写真7
元々は「和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利」の万葉仮名?でしょうが 簡単には読めません。余談ですが、私たちは漢字から平仮名、カタカナを発明し、ずいぶんと表現方法が豊かになりましたね。最近は横文字も入り、ちょっと滅茶苦茶な感もありますが・・。
写真8は東広島市安芸津町のほぼ全体、南西から北東に向けて写されたものです。山間部の一部は写っていませんが「三津湾」内の7つの島が揃って写っている珍しい写真です。手前左の本土部分は呉市安浦町になります。
「風早」地区は、最も手前のハート形の島1.小芝島、その上は2.大芝島(大芝大橋が架かっています)。そのうえ左は3.竜王島、右側は4.藍ノ島、これらの島々の左部分になります。
写真8 安芸津町史(東広島市教育委員会 2009)より
それにしても、この地が1300年以上の昔から、「かざはや」と言われ続けていることは羨ましい限りです。ついでながら、小ヌシの安浦町は「西行法師」の一首を大切にしています。
参考:ブログ/2021-11-08ほか
:ブログ/2014-03-05
:安芸津町史
たのしい万葉集(3615): 我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の (art-tags.net)
遣新羅使 - Wikipedia
https://art-tags.net/manyo/fifteen/m3615.html
コメント
- かやネズミさんの面白い記事、見落としていました。ブログ/2015-03-23 -- 小ヌシです 2022-05-26 (木) 09:46:41