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ブログ/2022-02-07

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ホボロ島2022

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写真1 2022.2.1 撮影

小ヌシです。
2006年6月ホボロ島初上陸から早いもので15年が過ぎました。
「島は今どんな姿か」と東広島市安芸津町木谷小学校の前を通過、赤崎に出かけました。
当日は最南端の「仏崎」まで行きたかったのですが、冷たく強い西風に少し雨粒も混じってきたのであきらめ、早々に引き揚げました。日を改めましょう。写真1,2

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写真2

途中、東広島市河内町から「鳥」の撮影で来られていたお二人のご婦人方と出会い、大きなカメラで撮影された鳥の写真を見せてもらいながら話す機会がありました。
「河内町」といえば、小ヌシはブログ/2015-04-15で知らないところではありません。
「何を撮影されておられるのですか?」と彼女たち。
「ホボロ島です。ここに説明板があります」と当会顧問O先生の看板を紹介。写真3,4

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写真3

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写真4

「まあー嬉しい。名前は聞いたことがあったけど」と言われながら、ホボロ島にカメラを向けておられました。なにせ風が強いのにお二人の熱心さには感服します。
まあ、こんな天気に撮影に来た小ヌシも同じですか(苦笑)。
この運命的な出会いはいかになるでしょうか・・・。楽しみです。
現在、ホボロ島の姿はあまり変わっていないように見えました・・・か?
ホボロ島の北側の「鼻繰島」も前と変わらぬ姿のようでした。写真5

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写真5

参考として約15年前の新聞記事と写真を追加します。
精力的に活動されたO先生(当会顧問)が取材されています。
「7つある三津湾の島々の中で、なぜホボロ島だけが急速に小さくなるのか?調査しよう」と、2006年、地元木谷のFさん、Y先生が計画され、地元での受け皿を作り、当会G会員さんに相談。O顧問、F会員ほかが協力しました。以来、木谷小学校の皆さんや地域の皆さんと一緒に何度も島に渡り調査、観察し、O顧問が「消滅の原因」のほぼすべてを解明され、結果を木谷小学校、安芸津中央公民館、広島大学、日本地質学会などで発表されました。小生は終始ただ付いていくだけでしたが、あの“騒動”は大変懐かしいですね。“ホボロ島”で多くの出会いやその後につながる貴重なきっかけを作ってくれたO顧問さんはじめ皆さんに、改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。 写真6、7

6ホボロ島中国新聞-1.jpg
写真6 2007.1.7付 中国新聞

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写真7 2007.1.12撮影

追記:島は小さな無人島なので定期船はなく、調査の時は地元の方のボランティアの船に乗せてもらって上陸していました。
島の風化軟岩化した凝灰質岩にナナツバコツブムシが小さな穴を掘って暮らしています。
幼生や成体は可愛いですよ。また、小さな島ですが泥や礫の環境と砂州を形成する砂の環境があり、そのせいか、多様な生き物を見ることができました。

参考:ブログ/2013-07-09
  :ブログ/2017-04-13ほか多数
  :日本地質学会 - 地質フォト:ホボロ島の生物浸食作用
   http://www.geosociety.jp/faq/content0012.html
  :ホボロ島上陸記
  :安芸津町史



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