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ブログ/2022-02-10

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ホボロ島2022追記

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写真1 2007.10.1撮影

小ヌシです。
2007年10月、東京の「A新聞」のNさんがホボロ島の取材に来られ、当会O顧問とともにご案内させてもらったご縁で、以来、賀状の交換をさせてもらっています。それで先日の「ホボロ島」ブログ記事になったという訳です。写真1

「仏崎」(赤崎鼻)で撮影中のNさんと熱水脈。写真2-1,2

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写真2-1 2007.10.1撮影

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写真2-2 2007.10.1撮影

地元Y先生が見せてくれた古絵図です。江戸時代天保年間(1831~1845)より前のものと言われ、上(北)から鼻繰島、中はホボロ島、下(南)は唐船島と3島が描かれています。
ホボロ島の形はまさに「ホボロ籠」をひっくり返したように丸いです。写真3

3天保前の3島.jpg
写真3

また、安芸津町史編纂室で収集・保管されていたモノクロ写真も使って、島の変化を連ねてみました。ご覧ください。
1925(大正14)年の地図(測図)では左側(東側)の元々大きな山の標高は21m(確か伊能忠敬も同じような数字を記録していたようです)、鼻繰島は標高10mと記述されています。当時21mの高さがあった大きな山は、今は岩塊が積み重なっているだけで何もありません。大きい方が先に侵食され、満潮時にその岩塊が少し顔出すだけになっています。北にある鼻繰島は大きく変わってはいないようです。写真1、4~9

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写真4-1 1950(昭和25)年撮影

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写真4-2 1950年

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写真5 1954年

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写真6 1958年

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写真7 1978年

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写真8 2007年

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写真9 2022年

ホボロ島で小ヌシが初めて出会った生き物メモ。写真10-1,2

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写真10-1

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写真10-2

なお現在、提案者のY先生が“ホボロ島騒動記”(仮称)を執筆、編集中です。
出来上がりが待たれます。

先日のあの「出会い」から。
安芸津町赤崎の海岸でお会いした河内町のご婦人のメールの一文と彼女のブログをご紹介します。
・・・自然が大好きです。春は植物、冬は鳥、四季の風景など写真ライフを楽しんでいます。趣味程度のボケ防止が目的でブログを作っています。ハンドルネーム「広島県人」で、
アメーバーブログ 「Goハイキング&備忘録」をしています。もし興味がありましたら覗いてみてください。Goハイキング&備忘録 (ameblo.jp) ・・・

小ヌシもちょっと覗かせていただきました。住んでおられる河内町の雰囲気や、「自然って、良いな」という印象を受け、彼女のお人柄を感じました。



コメント

  • ハイキング&備忘録さんは忠海植物観察会の会員さんです。 -- 忠海探検隊 2022-02-11 (金) 08:24:14
  • 忠海探検隊さん、コメントありがとうございます。会員さんでしたか。
    ハイキング&備忘録さんのブログを見せてもらっています。熱心ですね。また、大変長いブログ歴ですので、鳥の勉強になります。 -- 小ヌシです 2022-02-11 (金) 11:14:56

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