ブログ/2022-05-05
新聞記事―「宮本常一の写真を読む」より
小ヌシです。
芸備地方史研究会の「会誌391号 芸備地方史研究」の記事です。
この紹介記事を書かれた佐田尾信作氏の「宮本常一」に関する講演を以前聴講したことがあります。「忘れてはいけないというものをとっただけである」(宮本常一)の「忘れてはいけないもの」は何なのか、また、住んでいる地域のことでもあるので、メールで購入をお願いしました。届くのが待たれます。写真1
そんなことから、忠海町在住のNさんにお願いして、昔(おもに昭和初期から戦後にかけて)の写真を送ってもらいました。故郷竹原市忠海町の昔の光景です。初めて見る写真も多いです。
耕して天に至る「だんだん畑」、総出で「ボラ網漁」、「芸予重砲兵大隊」、岬をめぐる「ボンネットバス」など、今は全部失われた世界ですが、Nさんのおかげで偲ぶこと、考えることができました。ありがとうございました。以下にその一部をご紹介します。写真2~10
写真2 長浜の陸繋島「棚林島」と子どもたち
現在、火力発電所ができ、大きく姿を変えています。
写真4 塩田 三呉線(JR呉線)の全線開通1935(昭和10)年より前
忠海再発見 - 070.忠海芸予重砲兵大隊 (google.com)には、
廃止が1918(大正7)年とあるので、撮影はそれ以前?
写真7 旧制忠海中の水練?(拡大して見ると褌姿の人も2~3いる:Nさん指摘)
写真8 旧制忠海高女の皆さん 現在は国道のコンクリート橋になりました
写真9 旧国道を走るボンネットバス(この写真は昭和30年頃)
「たった100年も経たぬうち、こうも変わったのか。何と忙しい」と、今更ながら驚いています。なお、詳しくは前述の忠海再発見 (google.com)に。https://sites.google.com/site/tadanoumis/
参考:ブログ/2021-03-10
コメント
- 芸予要塞 - Wikipedia、によりますと、写真5の忠海芸予重砲兵大隊は1900(明治33)年6月開庁とありました。 -- 小ヌシです 2022-06-25 (土) 13:43:26