ブログ/2022-06-24
「ハチの干潟」はこうして出来た
小ヌシです。
「竹原の賀茂川河口に拡がる『ハチの干潟』ができたのは、江戸時代半ばの成井川の瀬替え(賀茂川本流の付け替え:小ヌシ)が原因なのですが、その瀬替えに忠海町の人が随分と関係していますよ」と、忠海町在住のNさんが教えてくれました。「えっ本当?」と小ヌシ。
そのNさんから関係者の「系図」や「竹原市史」など詳しい情報をいただきました。写真1,2
忠海町出身の関係者の系図など読ませていただき、「なるほど納得」と思った次第です。
瀬替え工事の内容や市街地の変遷などが分かる「竹原市史」のごく一部分です。
(竹原市史:昭和47年発行 竹原市役所 西村嘉助ほか編集) 写真3~6
江戸時代初期からここ数百年間、竹原の皆さんの「壮絶」とも言える水との関りを概説的ですが初めて知りました。「あの水路は当時の堀だったんだ~、それなりの歴史があるんだ」と知らされ、今まで何も考えずにこの町を走り抜けてきた自分が恥ずかしくなりました。
すべて「歴史の上にある」。次回「ハチの干潟」にお邪魔するときは、入り口の横島山の堀切られた岩肌をしっかり観察したいと思っています。おかげで、最初にあの堀切りを通った時の違和感が氷解しました。Nさん、ありがとうございました。
参考:ブログ/2019-06-02(竹原の建物群や資料が日本遺産に追加認定)
:ブログ/2022-06-13(ハチの干潟紹介記事)ほか多数
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