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ブログ/2022-06-26

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書籍紹介「一人ひとりの大久野島」行武正刀編著

―毒ガス工場からの証言(2012年 ドメス出版A5判258P)より

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表紙カバー 

小ヌシです。
前の「ハチの干潟、成井川の瀬替え」が竹原町の江戸時代の「正の遺産」なら、今回は忠海町の近代の「負の遺産」になりますか。
以前、父のこと(ブログ/2022-06-19)を書きましたので、今回は母のことを少し。
とは言っても、青春時代はやはり戦争の影響を強く受けています。ご存じのとおり「忠海町」には「毒ガス製造の大久野島」があります。母も終戦まで「大久野島関連地」の勤労奉仕・動員作業に出ています。その証言者として後述の「証言」を求められ、拙文を書き、そのいきさつでこの本が手元にあります。証言者の方の中には知った方もおられました。写真1

この本の編著者の忠海病院院長「行武先生」とお話したことはありませんが、生前の先生のお姿はしっかり記憶にあります。
先生が診察された毒ガス患者のそれぞれ「大変重く苦しい」証言を書き留められ、娘さんたちが新たに「証言」を集められ、整理し、時間的な流れで序章から第16章まで章立てされ、各章それぞれには歴史的背景や写真、図、絵などを使用した丁寧な解説が加えられています。その後に皆さんの貴重な「証言」が続き、注釈もあり、「証言」がより理解できるよう配慮されています。「ヒロシマ」原爆体験の証言もあり、おかげで、これ一冊で充分把握できるようになっていて画期的な本だと思います。私も戦時中のいろいろなことを新たに知ることができました。
これらの証言は毒ガス障害者のほんのごく一部でしょうが、「よくぞ書き残しておいてくれた」と、また、このようにして私たちの目に触れるよう世に出していただき、感謝の言葉もありません。ありがとうございました。写真2

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写真2 同書 帯「戦争は終わっていない」

皆さんの「証言」を読ませていただきました。その内容は息苦しく、「死」と隣り合わせのような、身の毛のよだつような状況を想像させ、読後は「逃げ場のない苦しさ」を味わいました。
「毒ガス製造」という大変危険な環境の下、多くの方が物言わずに亡くなられ、また、忠海は三方を山や丘陵に囲まれた小さな町ですので、軍隊、私服憲兵などによる監視の目の厳しい時代をよくぞ生き延びてこられた、とただただ頭が下がりました。
たかが7,80年前のことですが、これらの事実は忘れてはいけないもの、それぞれが胸に刻んで後世に伝えなければいけないものだと強く思いました。
この本の内容をしっかりお伝えしたいのですが、行武先生の「はじめに」と「あとがき」、行武則子さんの「おわりに」だけを紹介させてください。写真3,4,5,6

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写真3 「はじめに」

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写真4 「あとがき」

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写真5 「おわりに」

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写真6 「おわりに」

参考:ブログ/2016-02-16(休暇村・大久野島1)
  :ブログ/2016-02-17(休暇村・大久野島2)
  :ブログ/2019-01-05(黒滝山観音堂から見る正面大久野島、後ろ大三島、右小久野島)
  :ブログ/2019-07-23(新本直登さん)
  :ブログ/2022-05-05(写真5 後の忠海分廠)
  :芸予要塞 - Wikipedia



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