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ブログ/2022-11-16

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呉市安浦町にあった「呉海軍病院」

~安浦町史から
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写真1 「安浦町史」平成16(2004)年安浦町発行 1097P

小ヌシです。
先夜、竹原市忠海町在住のS会員さんから「原爆投下後、安浦に“海軍病院”がありました?訳があって調べています」と問い合わせがありました。
「詳しいことは分からんので、町史で探してみるから」と返事をしました。写真1

町史に、少ない記述でしたが「あった~」とスキャン、メールに添付して送信。写真2

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写真2 「安浦町史」から

敗戦直後、広島女子高等師範学校、広島県立医学専門学校なども「安浦海兵団跡地」に移転してきたことも書かれていました。写真3

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写真3 「安浦町史」から

また、「海兵団」のことも詳しく知りたいと町史を探してみましたが、見当たりません。
ですが、戦後の大変混乱した、慌ただしい雰囲気は伝わってきました。

で、Sさんから「その訳」を聞かせていただき、素晴らしいお話に感動しました。↓
このたび、アメリカ、コネティカット州にお住いのTさん一家が亡きお母さんの足跡をたどるため、小西のぶ子さんの機関誌?に投稿されたお母さんの手記を片手に来日されました。昭和20年8月6日、お母さんたちの家族は広島の縮景園近くで被爆。負傷されて、皆さん支えあいながら二葉の里方面に逃げ、そこから東の向洋駅まで歩き、国鉄呉線で竹原市忠海町まで、縁者を頼って避難されたそうです。その後、傷の治療のため忠海駅から先述の安浦の“海軍病院”に通われたその行程を、今回、Tさん一家が「ご自分の足」で歩いて追体験されたそうです。皆さんが何を感じられたのか伺ってみたいです。
それにしても、お母さんの「足跡をたどる」ためにアメリカから来日され、亡きお母さんの苦しみを少しでも理解されようとするTさんの気持ちには頭が下がりました。
お母さんも、きっとお喜びでしょう。
余談ですが、8月7日から被爆した広島市民に食糧などの手配にご尽力された「竹内喜三郎」(忠海町)さんのことをたまたま思い出し調べてみると、資料が保存されていました↓。原資料を読んでみたくなりました。

◎Web展示会「あの日」の記録 - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)
参考:ブログ/2019-08-23(秀敬先生)
  :ブログ/2021-08-27(栗原貞子)
  :ブログ/2021-09-03(ヒロシマ)
  :ブログ/2022-02-09(新聞記事)ほか多数
  :ブログ/2022-06-26(行武先生)
  :ブログ/2022-08-11(永井隆)



コメント

  • 原稿を作りながら、アニメ「この世界の片隅に」(こうの史代)のいろんなシーンを思い出していました。 -- 小ヌシです 2022-11-20 (日) 21:51:25

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