ブログ/2023-04-18
今年はシーボルト来日200年(1)
小ヌシです。
今から200年前の1823年8月、ドイツの貴族で27歳?の若きシーボルト(1796~1866)が長崎出島のオランダ商館付医官として来日しています。彼は日本固有のオオサンショウウオを海外オランダに初めて持ち出し、ライデン王立自然史博物館?が世界に紹介するきっかけを作ったことでも知られています。以来約6年間、日本女性とも結婚し、精力的、超人的に活動し、シーボルト事件で、国外追放処分(1829.10)を受けて、離日(1830.1)。それでもなお、約30年後の日本開国(1858)で再度来日(1859.8)し、幕府の顧問をする(~1861.10)など日本が大好きだったんでしょうね。彼と二人の息子たちが収集した標本展「シーボルト父子のみた日本-生誕200年記念」の図録です。(1996 A4 254P ドイツ-日本研究所編集)写真1
彼らの日本への影響、ヨーロッパへの影響は計り知れない大きなものがあるようです。そんな彼らが持ち帰った品々、絵画などを見ると、まるで“タイムカプセル”を開いて江戸時代の化政文化のエッセンスを見るようです。そんな本2冊をご紹介させてください。
まず、1冊目です。写真2,1
日本での展覧会は岡山の林原美術館さんがトップで、次の東京会場は東京都江戸東京博物館、大阪会場は国立民族博物館で終えているようです。「林原さんがトップ!?」と、これまた驚いている次第です。
写真3,4,5,6
つづく~
◎フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト - Wikipedia
◎シーボルト事件 - Wikipedia
◎日本ハンザキ研究所>> 会誌の発行>>【「あんこう」のバックナンバーを見る】>
第6号(H23.3)PDF 田口勇輝さん報文「シーボルトのハンザキを求めてオランダへ」P11~13
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参考:ブログ/2014-01-10(土生玄硯)
:ブログ/2022-03-25(江戸参府紀行、御手洗・三原灘)
:ブログ/2022-03-30、ブログ/2022-04-01(ハンザキ集覧)ほか
:ブログ/2022-11-05、ブログ/2022-11-06(林原さん関連)ほか
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