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仙石庭園の石群について

行事報告

寄 稿

仙石庭園の石群について

理学博士 加賀美 英雄

はじめに
 筆者が自然景観論を意識して取り上げるようになったのは、今から25年前の1988年のことである。それは四国の石を見たり、聞いたりして以来のことで、その後は継続して関心を高めてきた。
 今回、仙石庭園について知ったのは、広島大学名誉教授沖村雄二氏が「日本地質学会News」16 (6) , June 2013に、『日本の自然石公園―仙石庭園』の記事を載せているのを見たからである。早速、沖村氏と連絡を取り、最終的には苑主の山名征三氏と知り合った。
 仙石庭園の石群について語り始める前に、石の世界の現況認識についてと、その歴史的回顧につて述べることからこの小文を始めることにする。

1. 石の世界の現況
 まず、石の世界の現況であるが、カリホルニア大学歴史学教授のロデリック・ナッシュが「自然の権利」という考えを1990年に提示したことから始める。それは人間と自然との関係を環境倫理の視点からまとめた思想である。ここで倫理というのは人間の行為の自由に対して自らに課す制限の総体のことである。
 ところで、従来からある「自然権」は当然のことながら言葉としては自然であるが中身は違う。これは全ての人間が生まれながらに持っているとされる権利のことで、この権利は国家以前に存在し、国家はこれを侵害し得ないとされる天賦人権のことである。ジョン・ロック(1632-1704)は「万人が自己存在という絶対的な目的を求めて、存在しつづけるための自然権を共有している」と述べている。イギリスやアメリカにおいて抑圧されてきた小集団(マイノリティー)が権利を拡大していくときに、その本質的な価値概念として自然権という考えを提唱した。1215年イギリスの貴族がジョン国王に対して自然権を主張したマグナ・カルタ(大憲章)は、貴族の王に対する独立宣言であった。
 1776年アメリカ入植者によるアメリカ独立宣言において、トーマス・ジェファーソンは起草文のなかで「自然と自然の神に関する法則は理性・意識が自明の真理にその基盤を置いているということ。即ち全ての人間は平等に創られ、何人も奪うことができない一定の権利を有している。」と述べて、自然権を主張している。
 1863年のアメリカ北部都市による「奴隷解放宣言」でも、自然権として宣言している。
 1920年の女性の権利に関する「アメリカ憲法19条修正」でも、自然権として要求している。
 1973年のアメリカの「絶滅危険種保護法」は、自然権を人間以外の生物にまで広げている。
 これより前に、ウイスコンシン大学教授のアルド・レオポルド(1949)は原生自然―無垢なる自然の保全を訴える『砂土原の歳時記』(日本題名『野生のうたが聞こえる』新島義昭訳、講談社、1997)のなかで、大地の倫理という考えを示した。大地の倫理とは、要するに従来の共同体という概念の枠を、土壌、水、植物、動物つまりこれらを総称した「土地」にまで拡大した場合の倫理をさす。
 このように自然権の歴史を振り返ると、人間という限定された集団の自然権から、自然を構成している各要素(動物、植物、鉱物)の権利として拡大してきた。自然あるいは自然を構成している各要素は固有の価値を持っている。その結果、自然は少なくとも存在する権利を保有している。これがロデリック・ナッシュのいう「自然の権利」という概念である(岡島成行『アメリカの環境保護運動』、 岩波書店、1990)。
 一方、天体物理学や科学哲学の進歩によって、複雑系の科学が明らかにされてきた。それは、この宇宙はこれほど美しい秩序や構造を自然に生み出してきたのかということを説明するもので、一般に「自己組織化の法則」と呼ばれる概念である。これを地球についてみると、地球は徐々に自己組織化できる環境を自律的に作りつつあり、現在でもその環境を維持している。それは例えば、水の誕生、酸素の発生、オゾン層の形成、深層水の循環、大陸氷床の維持などに示されるように、地球自体が生命体であるように進化してきたと考える(エリッヒ・ヤンツ『自己組織化する宇宙』、1980;訳、芹沢高志他、工作舎、1986)。
 以上が石の世界についての現状の認識であり、我々は自然の力の真情の発露を看ており、また感じているのが現状である。


2. 中国における石世界の歴史的回顧
 中国において詩人に好まれた山水の頻度を調べると、漢~唐代(古代~中世)では水が主であり、唐~明代(中世~近世)では山が主である。この水から山への変化の接点に唐代が当たる訳で、山水が両立して存在することにより、自ずから山水世界が成立したことを示している。
 後漢時代の水といえば、洛水が上げられる。首都洛陽の南郊を流れる黄河の大支流である。漢・李尤が「帝都の通路――舟を造り梁を為る」≪洛水に銘す≫と歌った。六朝時代の水といえば、広西省の斜川である。川としてさほど著名ではないが、晋・陶淵明が「彼の千載の憂いを忘れ」≪斜川に遊ぶ≫と歌っているように清遊を楽しむには絶好の所であったといえる。唐代の水といえば、長安の開元年間に手を加えられた曲江池が上げられる。周辺の楼、苑、寺院と共に景勝をなしており、唐・杜甫の詩「人生七十古来稀」≪曲江、その二≫でも有名である。
 山について述べると、唐代では五岳の一つに数えられる中嶽、またの名は嵩山である。河南省という地理上便利な所に在ることから一般に良く知られている。山には多くの寺廟があり、少林寺は武術の故に著名である。唐・宋之問の「松間の明月長しえにかくの如し」≪山を下る歌≫で有名である。宋代では福建の梅の名所に在る羅浮山である。道教の第七洞天にあたり、天華宮を始め多くの廟がある。宋・蘇軾の「羅浮山下四時春なり」≪茘支を食す≫で著名である。元代では江蘇省鎮江にある金焦の勝地といわれる金山である。もともと長江にあった景勝の島に大陸の民が惹かれた為であったといわれる。元・薩都拉の「仏閣斎雲は海嶼に浮く」≪金山に遊ぶ≫で知られている。明代では河北省の盤山が選ばれた。京東第一の名勝といわれ、清の時代にここに行宮が建てられるほどの名所であった。明・王嘉謨は「其の陽(人目に付く処)怪石饒(ゆたか)なり」≪盤山双峰寺≫と詠んでいる。
 中国の古い考えによれば、「山は剛、不動の印、男であり」。此れに対して、「水は柔、変化の象徴、女である」といわれる。この二つは対であって一方だけという訳にはいかない。従って、「山水」をもって風景としている事実から、中国庭園では湖水と同時に仮山(日本語では築山)が必要となるのである。
ところが、何時の時代からか仮山の代わりにもっぱら石それ自身を石峯として鑑賞の対象としてきた。石は中国人にとって宗教的聖像の一つであったのであり、石への執着は古代以来のことで、一説に山が天に近く神仙が住むと信じられたことに由来するという。中国の山水画は、後に西欧が追及した風景画ではない。つまり、光の中の自然を描いたのではない。山水は神仙のいる所であるという聖意識があるため、それを求めて描いたのである。
 仮山が何時の時代から石で作られたかを絵画史のうえで追跡すると以下のことが分かった。盛唐以降(七世紀後半)の例えば「竹林の七賢図」では石の種類が識別されるほど個性的になり、ここに太湖石が登場してくるのが示された。白楽天の「わずかに高きこと八九尺勢いは千万尋の若し」≪太湖石≫という称賛する詩から推定すると、華中の庭には太湖石が中唐時代には既に用いられていたと考えられる。太湖石には洞天福地(名山勝地の奥深くに実在すると信じられた神仙の住む別天地)の世界を見るための媒体としての役割を持つという神仙思想を信じたからである。
 中唐(八世紀)の長安の画家、蘆楞伽の「六尊者像」をみると、盆の上に載った石を受け取る人物が描かれている。後方に控えた人物も一組の奇石をもっている。珍しい石への憧れを示す中国人独特の感覚を知ることができる。
 五代(907~960)の衛賢の「高士図」に見られるように岩山のほとりの庵の庭には石峯のような奇石を配しており、賢人の象徴として奇石が定着してきたことが読み取れる。
 宋代(960~)以降になると絵画に描かれる石は豊富になり、その描き方も次第に巧妙になって行くのである、例えば子供と石筍の組み合わせなどが上げられる(木津雅代『中国の庭園』、東京堂出版、1994)。
 明代末の陸紹珩の「酔古堂剣掃」に石に関する語録があり、「花は人の心を風流にし、石は人の心を鋭くする。」とかまた、「窓前に立派な石が清らかに座っていれば、高士を選んで友にする必要はない。」と述べている。石は, 理想とする世界をみるための媒体としての役割の外に、精神浄化を促して自己を高める力が潜んでいる故に心の友とすると考えたのである(合山究『酔古堂剣掃』、明徳出版社、 1978)。
 こう見てくると、唐代末には仮山に代えて石峯が心の友として身近に置かれ始めていたことが分かる。そうして宋代には大いに普及したのである。


3. 仙石庭園の石群
 筆者は2013・8・8に仙石庭園を訪れた。苑主の山名征三氏や広島大学名誉教授の沖村雄二氏が案内して下さった。
 自然石をかくも多数集めて組み立ててみても、審美的効果が薄くては意味がない訳であるが、苑主は優れた形態と色調の石質を巧みに駆使して、我が国初めての立派な石の記念碑とも言うべき石庭を創造した。苑主の優れた感性と自然感に対して心からの賛同と敬意を表したいと思うのである。

3-1. 仙石庭園の概要
 仙石庭園の入り口には御影石に「二〇〇九年八月 仙石庭園」と刻印された標石があって、入園者を迎えてくれる。この辺りを上段の庭と呼ぶ。標石の後ろには《入船出船》の石組がみられる。なお以下、石の銘または通称は《》で示す。砂谷石の岩壁に囲まれた港湾に出入港する船の景観は活気があって目出度いものと言われている。地が小竹で被われているのが良く、美しい石組である。この西側には一寸した広場があり、その入り口には紅葉門と称する赤青一対の双石が置かれている。そこを通って西に進めば、四石からなる《伊予青石花弁》の組石がある。この銘は中央の主石が萌え出る雌髄の如き様相を示していることによるのであろう。この辺りで印象に残った石群をあげると、まず《砂谷青石》の組石がある。ほぼ同形を呈する三石のコバルトブルー色の組石である。右上から左下に走る節理が見事である。二石よりなる《三波紫雲石》もある。三石よりなる《紅すだれ石》もある。二石よりなる《三波薄緑石》も上げられる。また、向原石よりなる多石組石の《一夜庭》も見られる。
 入り口まで戻り、向原石よりなる石段を下って、下段の庭に至る。これを東に辿れば、二石よりなる《三波紫雲石》がある。立派な様相をしているので、これについては後で詳述する。その付近には堂々たる姿で決まっている《四国虎紋岩》が見られる。これについては後に詳述するので、これ以上述べない。その東に《青三景》の多石組石がある。左から四国(伊予青石)、関東(三波青石)、北海道(神居古潭青石)である。位置は少々前後するが、赤石群もここにはあって、《仁淀川赤石》の伏せ石、《北海道日高赤石》などが見られる。赤石の系列に含まれる、《四国桜石》は一際特徴的である。これは紅簾片岩という変成岩であるが、極めて美しく立派であるので、後に詳述することにする。更に東に行くと、《高知山石》の三石の組石がある。右左の脇石が縦に中央の主石は横に縞が走るので、安定感と威圧感が感じられる、立派な組石である。また、二石よりなる《仁淀川青紫雲石》があり、緑色の色調を示している。ここには《太公石》という花崗斑岩の表面に無数の石英脈が走る単石がある。脈の繊細さと巨大な石の安定感が奇妙に連携する興味ある石である。この石も後で詳述することにする。最後に、《砂谷石》の組石が見られる。此れは立派な五石の組石で、最高の品位を示すものと思われる。その理由から、この石も後で詳述することにする。
 ここで、我々は東屋に到着し昼食をとる。杉を垂木に使った、総ガラス張りの四阿である。この休息所にはトイレも設置されている。
 東屋の前の池の東側に《不動滝》がある。これは三段と言えないこともないが、大別すると二段の滝である。また、落水の仕方は稜(そば)落ちという範疇に入るものであろう。滝口の主石は大分産の紫雲石である。右脇の従石が立派である。
 池東側の庭(回廊)には、《大湖石》と呼ばれる落ち着いた色調の石灰岩がある。また、《蓬莱神仙島》と銘のある二十四石よりなる多石組石がある。ここには、大分県三重町産の立派な《黒紫雲石》がある。ガスが抜けた痕を充てんした白色の方解石が上下に走っている。また、九石からなる《砂谷群石》は中央に羅漢石の横たわる組石である。さらにここには、五石からなる《羅漢石》の組石があり、左右が平らであり、中央の主石が立派である。
 青石の石橋を渡って三重の築山の庭に入る。ここには、二石からなる《大分赤石》が立つ。層理が石の中で変形しており美しくかつ安定している様は素晴らしい。築山に進む小道に立つ二組の《伊予青石》は、特に左側の立石に力を感じた。
 築山の麓を西に乗り越すと、奥の院庭に出る。そこには五石からなり、主石の裏面に碑文のある《富士石》の組石がある。その西に桜御影十四石を立石した《黄山》の組石がある。これは中々迫力がある組石であるので後で詳述することにする。ここにはまた、三石からなる赤白太縞の様相を示す《「日高赤石」の組石や、二石からなる《大分赤富士》の組石がある。また、現代の磐座といえる三石よりなら《砂谷石人型》の組石がある。この微妙ともいえる安定感を示す組石につては後に詳述する予定である。更に六石よりなる《伊予青石大路》と呼ばれる組石もある。こうして、西に向かって数歩歩くと出発点であった入り口の上段の庭に再び達することが出来るのである。
 なお、上段の庭の北西側に、近い将来において大きな池泉が設けられることが計画されている。そうなれば組石などの展示が更に豊富になることが期待される。

3-2. 石群を代表する要石について
 庭園の中心的な石として、要となる石を選ぶとするとどれかという問題である。それは石の大きさでもなく、また金額でもない。園の石群を代表する精神的な主張であるべきである。此のことを考える上で日本の庭園の歴史を略記すると、次のように纏めることができるであろう。

[イ] 自然信仰の時代 神の依代として岩、木、池が求められた
   「磐座(いわくら)式組石」
[ロ] 曲水~舟遊式の時代 神仙庭園であった
   酒船石遺跡の「亀形石造物」・「須弥山石」
[ハ] 浄土式庭園の時代 極楽を祈願した場であった
   宇治の「平等院」・宮島の「厳島神社」
[ニ] 禅宗式庭園の時代 思索の庭が求められた 枯山水庭が主であった
   龍安寺の「海と島嶼」・大徳寺大仙院の「観音石、不動石と枯れ滝」・
   南禅寺本坊方丈庭園の「虎の子渡し石組」
[ホ] 回遊式池泉庭園の時代 愉楽の庭となった
   桂離宮の「天の橋立」・彦根城の「玄宮園」

 このように日本の歴史を展望すると、やはり初期の時代に見られた磐座が要石として庭の中心に在ってもおかしくないと思うのである。祈りに近い思いを石に込めた時代は終わったが、自然の力が生み出す気勢を中心に据えるといった配慮があっても良いと思われる。そこで気が付いたことは、(山名征三『日本の自然石公園・仙石庭園』、2013)にある《向原石》組石は、石種も形態も天津系(あまつけい)磐座と名乗っても羞じることの無い立派なものである。しかし、苑主の気持ちとしては、現代の磐座を要石と解して、図1に示した《砂谷石人型》組石を主張するのも是であると思はれる。当然のことながら、此の小文では当園の要石として、この人型組石を取り上げることにし、後の印象度の所で再度詳述する。

3-3. 石群を記載することについて
 次の問題は石の表示というか、呼び名についてである。どこの庭園に行っても石の呼び名は混乱しており、それが銘であったり、石種であったり、産地であったりと乱れている。仙石庭園は日本最初の石の庭園であり、石の品格を主張するのであるから、石の呼び名を銘とか通称を使って表現してはいかがであろうか。事実、大部分の石は苑主によってすでに、《青三景》とか《一夜庭》のように命名されている。人物の号と同じで、銘や通称はいくつあってもよいのだと気軽に考えて名付けたらよい。
 この問題は庭園の石群の基本台帳を作る上で貴重な資料になる。まず、全ての単石と組石に通し番号を付ける。例えば、単石には1~199までの番号を振る。組石については1組に1つの番号を201~から付けていく。
 次に番号に従って、銘(または通称名)、石数、石種、産地、大きさ(縦・横・高さ)、位置区画などを台帳に記載する。なお、位置区画とは庭園内をA、B、C~の区画に分けておき、番号の石がどの区画に存在するか、Aとか、Bとかで示すものである。従ってA、B、C~を附した区画図が必要となる。この台帳のコピーを園内のどこかに置いておけば利用者にとって便利かと思う。
 また、各石の脇には通し番号だけか、または通し番号と銘(または通称名)を書いた表示を付けたら利用者には便利かと思う。


4. 印象度による評価と順位
 若い世代の訪問者を取り込む仕掛けについて述べたいと思う。もちろん年齢の高い世代の人に高い評価をしていただくことは、庭園の世論を高めるために最重要なことに違いない。しかし折角立派な石の庭園を造ったのであるから、いかにして若い世代の人を呼び込ことができるか考えて見たい。
 私はかって次の世紀における回遊式庭園の行く末について考察したことがある。それによると2つの全く異なった方向に分かれるのではないかと考えた。一つの方向は国立公園の思想である。それは人工の手を加えないで、自然な山野をそのまま保存し、開発から保護しようと主張する。これは最近では、ユネスコのナショナルジオパーク構想として推進されている(中国国土資源部編『国家地質公園』、地質出版社、2002)。その内容はいろいろあると思うが、なんといっても大規模な自然景観を国家の力で保存しようとするものであるから、本園などでは中々含めて貰えないものである。
 もう一つの方向は、ディズニーランドのような「お祭り広場」を繰り広げることにより人々の関心を引こうというアミューズメント・パーク方式のものである。但し、それは浅薄なお祭り騒ぎではない。ディズニーランドのSmall Worldというパビリオンを思い出して欲しい。幼い子供たちがただ踊るだけの舞台を小舟で巡るだけであるが、ここには重要な点が含まれている。来場者は単なる観客ではなく参加者の一人となる仕組みが、子供の心を捉えているからである。彼らが気に入れば再訪することは目にみえている。
 この方向の立場で本園を考えて見よう。それは何となく心に引っ掛かる石を鑑賞しようとする若人の気持ちを大切にし、その肩をそっと押してやるということである。石鑑賞を一つの文化として成熟した遊びを提供すると言ったら良いのであろうか。若人が来て感性をみがく場ができれば成功であると考える。
 具体的にどうするかについては次の[イ]~[ホ]に示す。これを仮に自由研究「石の観賞と印象度による石の評価」の手順とする。
[イ] 最初は予断を持たずに全体を見て回る。
[ロ] 何となく心に引っ掛かる石があったら、印象度の大小を付けてみる。単石と組石はわけて夫々3個ずつ計6個を選び、自分に気に入った順に順位を付ける
[ハ] 参考資料として、基本台帳のコピーから、石の番号、通称名、石の個数(組石の場合)、石の種類、原産地、大きさ、位置区画などを書き写す。
[ニ] それぞれの石のスケッチ、または写真を付ける。このためには石の周りにスペースが必要となる。
[ホ] 以上を(既定の)用紙に記入し、自由研究として学校の先生に提出するなり、事務局に提示する。この資料は月日が経つうちに、人と石との心の交感が変化することがあるので、再度順位を検討する資料として大事に保管する。


5. 筆者による印象度の評価と順位
 我々が石に面した時に感じる、心に触れる気持ちを大切にしてこの小文では「印象度」として取り上げ、評価する。以下単石と組石の夫々について順位をつけた試案を提示する。なお、単石の順位は(イ)、(ロ)、(ハ)で示す。
(イ)単石印象度の第一位;《四国桜石》
 此の石は四国仁淀川産である。40~50cm間隔で石英の細脈が、ほぼ水平~右落ちで走るが、全体は紅茶色の紅簾石よりなる。紅簾石は緑簾石族(エピドート・グループ)に属するが、Mnが含まれることにより紅色を呈する。深海底にマンガン団塊が存在することはよく知られているが、海溝系の変成岩にMnが含まれていることは、そのことを示している。細脈が水平に近く走ることにより、石の安定が強調されている。それと立石の絶妙ともいえるコントラストの見事さがここにはみられる。
 此の紅簾片岩の形と色は、巨大な存在感と貴重感として見る者に不思議な印象を感じさせる。この石の前に立ち、じっと見つめていると石と意思の絡み合いが見事に心に触れるのである(龍居庭園研究所『石組作法』、建築資料研究社、2004)。石に付くとは誠に一期一会と同じであると感じるに十分な例である。この石は英語ではPiedmontiteというがその意味するところは山麓で、高い山ではないが中~低変成岩が幅広く分布している状態を示している。埼玉県の長瀞ではこの石は天然記念物として採集不可となっている。もし花言葉と同じように、石言葉があるとすると、それは「高貴」と呼ばれるであろう。
 この貴重な存在感と凛とした品格が、今回単石の中で第一位の印象度とした理由である。
(ロ)単石印象度の第二位;《四国虎紋岩》
 石鎚山系を北に下る加茂川渓谷の産である。虎が伏せている形状を臥崗式というが(杭州園林管理局編『杭州盆景』, 1986)、これはまさに巨大な虎で、正面向かって左が頭部で、伏せている姿が決まっている。
 石は砂泥互層の変成岩で、石英の多い粗粒層が白色の縞模様を作り、緑泥石の多い泥粒層が緑色の縞部分を作っている。この石が生物であるかの如くの存在感を示し、それが奇妙に心に引っかかるのである。石自身に生命力が有る如く、不動の力を以て主張している。その存在感は庭に骨格的な安定感を生み出している。自然の力に勢いを感じると云ったら良いであろうか。かかる理由から印象度第二位とした。なお、虎渓の心という言葉があるが、それは世俗を超越する心として使われている。しかし、筆者は虎紋岩こそ本庭園の守護石として鎮座してほしいと願っている。その意味で石言葉は「忠誠」を提案したい。
(ハ)単石印象度の第三位;《太公石》
 四国仁淀川系の産。地元では太公石もしくは糸掛け石と呼ばれて珍重されている。この命名の太公(望)は釣りをしている姿に由来していると思われる。糸掛け模様は花崗斑岩が再加熱された折に発達した網目状の石英脈として作られ、それがあたかも木の細根か、あるいは蔦類の巻ひげのように全面を覆っているのである。
 なお、脈状部分が太くかつ枝状に分かれて発達したのが、《藤渡石》である。現在、醍醐寺三宝院庭園に在るが、もともとは倉敷市藤戸町の藤戸の渡しの産と知られている。
 太公石の糸掛け模様は極めて繊細で一見可憐というかまたは可愛いという見掛けである。それが堂々たる巨石の上を走る組み合わせの妙が見事であり、心に惹かれるのである。一寸も動かない釣りの姿勢に、心の依り処を見つけたような安定感、安堵感があるのである。一石をもって友とするという東洋の心境がここに示されていると認識される。この理由から印象度の第三位に入れた。なお、石言葉としては「繊細」を考えている。
 次に組石について心に触れる印象度を順位毎に示す。なお、組石の順位は(い)、(ろ)、(は)で追うことにする。
(い)組石印象度の第一位;《砂谷石人型》組石
 砂谷(サゴタニ)石は広島市佐伯区の打尾谷川沿いにある湯来温泉付近を産地とする。青緑色を主体とし、縮緬肌と気泡性の穴が特徴であり、塩基性の噴出岩よりなる。重量感のある砂谷石の中心石を思い切り傾斜させて右側の脇石にもたれ掛る手法は従来の傾斜手法組石のバランスを大きく超えたものであるが、不思議と安定している玄妙な姿を示している(図1)。現代の石組には擬人化して見せる手法があるというが、そこには石の間合いであるとか、方向性が生み出す気勢などの造形の諸性質が理解されていることが重要である(龍居庭園研究所 前出)。
 これは本園の要石であり、日本の庭園の石組が磐座に始まったことに鑑み、現代の磐座と呼んでもよい存在である。神の依代に代わり、地球は生き物であるという自然の生命力を感じられるように据え付けた作者の意思に因って、石組は安定の象徴となったのである。石組に面すると、石から優れた輝きや美しさが出ているように感じ、
心の琴線ふれるものがあることから、これを組石の印象度第一位とした。石言葉としては「安定」を用意した。
(ろ)組石印象度の第二位;《砂谷石》組石
 中心石は典型的な砂谷石の石質を示しており、堂々としている。左右に平石を配置しておりそのバランスは絶妙である。右側の平石は鳥取の佐治石系の紋様を呈している。この立石と伏せ石の組み合わせは一見従来の陰陽石組の型であるが、この中心石はもっと重みがあって立派な姿をしている。この中心石には年月の重み、風格、安らぎなどを感じさせるものがある。
 この五石からなる組石は園内最高の品格を示しており、精神的に石に惹かれる伝統的な東洋の心に深く留まることから、印象度第二位とした。石言葉は「豊饒」とした。
(は)組石印象度の第三位;《黄山》組石
 滝山川産の桜御影石の巨石を14個も立石して神秘的な岩峯群を表現している組石はなかなかの迫力である。九山八海を表現する新しい組石作品として評価してよいと思われる。桜御影の持っている自然の力、つまり量感、質感が石自身から染み出る厳しさや優しさをもって組石の構成に寄与しているからである。そこに癒しを感じるところが魅力的である。
 この度を超す迫力と、新鮮な九山八海の発想が心に残るので印象度第三位とした。石言葉は「新鮮さ」である。
 ここで筆者はお詫びをしなければならない、というのは組石として日本古来の青石や紫雲石が一つも入っていないからである。そこで番外というか、または次点として一つだけ追加することをお許しいただきたい。
(に)組石印象度の次点;《三波紫雲石》組石
 枕状溶岩が海溝型変成帯に巻き込まれた極めて珍しい例である。枕状溶岩は海底斜面に噴出した灼熱の溶岩流で、海水の冷却作用に因って表面が先に固結したため円形の横断面を保持しているのが特徴である。その横断面が西洋枕に似ているので枕状溶岩といわれる。
 海溝型の変成岩というのは、変成温度はあまり高くないが変成圧力が高いために、藍閃石という紫色の鉱物を形成するのが特徴である。特に原岩が枕状溶岩のように塩基性岩石の場合は、綺麗な紫色を呈するのが一般である(図2)。石にはその創生からの長期の変動を潜り抜けたロマンがある。石は自然が作り出した傑作である。そこが人の心を惹きつけるのである。
 これは二石よりなる組石であるが、苑主は三石にするのはくどいと感じているようである。石言葉としては「珍重」を考えている。


おわりに
 心に残る印象度を順位付けして発表することはなかなか難しいものであると実感したのであるが、参加型の公園という発想を進めるために敢えて試案を書いてみた。それも石を主題とした公園は世界でも珍しい存在であり、その一つの仙石庭園が末永く発展するために、少しでも役に立てばと考えた所以である。
 筆者による単石の印象度は、第一位は(イ)《四国桜石》、第二位は(ロ)《四国虎紋岩》、第三位は(ハ)《太公石》となった。組石の印象度については第一位に(い)《砂谷石人型》組石、第二位は(ろ)《砂谷石》組石、第三位は(は)《黄山》組石、それに次点として(に)《三波紫雲石》組石となった。
 この印象度の評価には、もう一つの重要な情報が含まれていることが明らかとなった。印象度を評価する文言を良く看てみると、そこには必ずどのような理由で各石が選択されたのかということが述べられている。今その選ばれた理由を書き出してみると、次のようになる。まず、A. 自然の力が示す勢い、または気勢を感じる。B. 心が浄化される、またはそれ故に友としてそばに置きたいと思う。C. 石そのものが持つ美しさが現れている。D. 素材としての石の物語性、または生成のロマンが感じられる。大よそ以上のようにまとめられる。これを小論では石を愛でる四つの理由と言うことにする。
 そこで、この四つの理由がどの例によって示されたのかということを、改めて上げると、⦅A. 自然の力が勢い、または気勢として示されている⦆の例としては、(ロ)《四国虎紋岩》、(い)《砂谷石人型》組石、(は)《黄山》組石によって代表される。⦅B. 心の浄化、友として認めるなど精神的な連携がある⦆の例としては、(ハ)《太公石》、(ろ)《砂谷石》組石が上げられる。⦅C. 石の美しさが自ずから抽出されている⦆の例として、(イ)《四国桜石》が上げられる。⦅D. 素材としての石の物語性、ロマンが感じられる⦆の例として、(に)《三波紫雲石》組石が上げられる。ということが明らかとなった。
 もちろん各石には多岐に渡る理由がある場合があるので、ここで述べたものより複雑な様相を呈することは当然なことと思われる。しかし、ここでは話の都合上単純化して記していることをご理解いただきたい。
 そこでついでに、非常に大ざっぱに石を愛でる四つの理由の出現率を述べると、⦅A. 自然の力が勢い、または気勢として示されている⦆の理由は全体の43%を占めており第一位である。⦅B. 心の浄化、友として認めるなど精神的な連携がある⦆の理由は全体の29%を占めている。⦅C. 石の美しさが自ずから抽出されている⦆の理由は全体の14%を占めるに過ぎないが、意義としては重要である。⦅D. 素材としての石の物語性、ロマンが感じられる⦆の理由は全体の14%を占めるに過ぎない。これらの値は集団の数が限られていることから参考値であるに過ぎない。しかし、以上の結果は日頃あまり意識していない故に、意外と思うかも知れないが、かかる印象度のテストがもたらした結果であって、そこには事実の重みがしっかりと存在するのではないだろうか。
 筆者は次回これらの石群を再見してどのように心に変化が生じるものか大変興味を持っている。この再見を動機つけることだけでも、今回の小文の試みは成功したと考えてよいであろう。
 今や地球や地球を構成する各要素(動物、植物、鉱物)は自己組織化の法則に則って進化してきたことは確かなことである。この共同体の構成要素の一つが石の世界である訳で、われわれは石の世界の幅広い教養につてもっと声を上げても良いのではないかと考える。

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図1. 仙石庭園組石の印象度第一位とした《砂谷石人型》組石

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図2. 仙石庭園組石の印象度次点とした《三波紫雲石》組石

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