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古墳を訪ねて(三原市本郷町内のみ)

行事報告

         古墳を訪ねて(三原市本郷町内のみ)

会員 吉中隆義

 私の故郷本郷町は古墳の里としてこの辺りでは広く知られています。全体では300基近くあるのではないかとも言われています。
 南方地区では県指定の貞丸1、2号古墳があり、これは石棺の材質が流紋岩質凝灰岩で、兵庫県の竜山石と案内板に表示されています。7世紀前半の築とされていますが、この石材の運搬については、陸路では不可能に近く、海の水路を利用したと考えるのが自然です。とすれば、この近くまで海水域だったと考えることもできます。それが出来るのは相当の実力者であったに違いありません。
 次は、御年代古墳(7世紀後半)で国の指定を受けています。出土品の多くは東京の博物館に収納されているそうです。横穴式で奥行きは約11m、くり抜き式石棺が2基と立派なものです。羨道も少し認められます。この貞丸古墳と御年代古墳は、距離が1km足らずと大変近くて、道幅の狭さもあまり気になりません。
 北方地区は国指定の横見寺廃寺跡と梅木平古墳(県指定)が、本郷中学校を挟んで両隣にあります。ちょっと贅沢な中学校ですね。梅木平古墳は横穴式の奥行きが約13mと県内最大クラスで、玄室は二つあり、奥の方は横幅も天井もずっと大きいです。横見寺と梅木平にどんな繋がりがあったのか考えるだけでも楽しくなります。
 船木地区平坂史によると、この集落だけで13基の円墳と石棺等が確認されています。多くは破損したり、土砂の流入もありで、完全なものは少ないとされています。本郷インター建設では、古い型式の石積みだけのものが2基確認され、その1基は発掘されどこかに移設されたようです。また、兼広集落では未掘の古墳群のために、小学校の建設予定地が、山の上から平地の田圃を埋め立てして建設した経緯があります。平坂では縄文式や弥生式の土器も発掘され、古くから人々が生活を営んでいたようです。本郷地区では毘沙門山古墳というあまり知られていない市指定の古墳があります。市営河崎住宅裏の小路を少し横に行った所にあります。近くの仏通寺川からはほんの数十mと近く、毘沙門山の最下部に位置しています。本郷にある古墳の多くは山の中腹や尾根筋が大部分なのに、どうしてここだけ低地にあるのか水位の今昔も含めて大いに疑問を感じます。
 次に、橘神社後方の山では尾根に沿って4基の箱式石棺がありました。現在はその位置が工事のために確認できなくなっています。一番右手の石棺は縦1.8m、横0.6m位で、石はきれいに磨かれていました。他も同様、特に頭部にはその形らしき石板の一部がくり抜かれていました。そして、その中腹には弥生式土器が多数ありました。その中の一つに底に籾殻がいくつも認められ、当時からこの地で農業が行われていたと推察できるのです。また、少し下った位置に須恵器の土器も発見されており、住居らしき跡でも見つかれば一段と興味も増してくると思えます。
(参考: 写真でつづる本郷史、平坂史他)

古墳.png
①貞丸1号墳

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②御年代古墳前棺部

古墳③.png
③梅木平古墳奥室部

古墳④.png
④毘沙門山古墳

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