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県北の化石産地を巡る

県北の化石産地を巡る

広島大学総合博物館
学芸職員 清水則雄

 東広島市自然研究会主催の生涯学習エコバスツアーが平成20年11月16日に開催されました。

 今回は、化石産地として名高い県北の備北層群と比和自然科学博物館をめぐるツアーです。広島大学総合博物館には沢山の備北層群の化石が保管されていますので、向学のため参加させて頂きました。その内容と感想を紹介させて頂きます。

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 庄原インターを降りた後、バスは一路、中国地方で化石の産地として有名な「備北層群」へ。この名前は、故今村外治広島大学名誉教授が名付けられたことでも有名です。田んぼの向こうに切り立っている露頭が備北層群です。実際に巨大な地層構造が見渡せました。感嘆の声があがります。

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 次の場所では、さらに近づいて観察です。庄原化石集談会の大澤仁さんと自然史研究会の沖村雄二先生による解説を伺います。ともすると「ただの岩肌」が「へぇ~、ほ~」といった驚きの声に包まれます。

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いよいよ、比和自然科学博物館に到着です。館長の中村慎吾先生に解説をして頂きました。

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この博物館は、別名「モグラ博物館」とも言われているそうで、日本一のモグラコレクションが収蔵・展示されています。とうぜん、モグラの解説も素晴らしいです。

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写真日本産だけでなく、海外のモグラ標本もあります。

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 子ども達が自由に標本を棚から出して観察できるコーナーでは、「モグラの雪隠ダケ(モグラノセッチンダケ)」を紹介して頂きました。なんと、モグラのトイレから生えるキノコだそうで、食べられるそうです。食べてみたいような、食べたくないような(笑)。

 実は、上記は別名で、正式な和名はナガエノスギダケHebeloma radicosumというそうです。なんでも山形県のあたりでは「白松茸」とも呼ばれるほど格式の高いキノコだそうです。

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昆虫標本もコンディションもよく充実しています。

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鳥類の剥製も、こんなに。

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哺乳類の剥製も。

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シンボリックな切り株や、ツキノワグマの剥製の展示もあります。
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文化系の展示もあります。写真は、比婆の花田植えなどに関する展示です。この他にも沢山の農機具などの展示もあります。

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そして、この度の目玉である企画展示スペースです。最初のパネルは、比和自然科学博物館と庄原化石集談会の基礎を築かれた広瀬繁登先生の紹介です。博物館長の中村先生と自然研究会の沖村先生の共通の恩師でもあるそうです。

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ここには、備北層群から出土した「ショウバラクジラ」の化石がずらりと並んでいました。今回は、新しく和名が登録されたことを記念した企画展示です。

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最後は、圧巻の「ペロケタス属クジラ」の全身骨格です。集談会の山岡隆信氏により、発見されたもので、ほぼ全身の骨格が実に見事に残っています。長年の地道な現地調査の結晶でもあります。

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 博物館見学を終えると西城川の河畔で実際に化石掘りの体験です。庄原化石集談会の皆様のお陰で、巻き貝や二枚貝をはじめ、葉っぱや樹木などさまざまな化石を見つけることができました。

 参加者の笑顔から、行事の充実ぶりが見て取れます。私自身も備北層群の成り立ちや、化石の出土状況、発見時の逸話などを伺いとても勉強になりました。

 比和自然科学博物館は、噂には聞いていましたが、これほど充実した成果と標本をお持ちだとは、恥ずかしながら知りませんでした。

 広島県には、自然史博物館がないとよく耳にしますが、このように地域に密着し長年の成果を地道に蓄積している姿が本当の博物館のあるべき姿ではないでしょうか。

 このような博物館の存在をもっと周知し、今後の県立自然史博物館などの核とするべきではないかと個人的に感じました。

 もし、お近くに足を運ばれましたら、是非とも訪ねてみて下さい。きっと新しい発見があることと思います。


<ヒメシロチョウ>と再会して

井野口慧子

 2008年11月16日、庄原へのバスツアーに加えていただき、庄原市立比和自然科学博物館に行った。

 思いがけない壁面の前に立った。「ヒメシロチョウ調査隊報告」という題に思わず釘付けになった。その中には「ヒメシロチョウは「氷河期の生き証人」といわれて、とてもめずらしいチョウだということ、寒い場所でしか生きられないこと、広島にも氷河期があったということを証明してくれるものなどの説明があった。

 庄原が海だったという1600万年前の地層を現場で眼前に見たばかりだったし、鯨の完全に近い姿の化石や貝の化石の数々に触れたばかりなので、なるほどと実感した。

 「蝶」(山と渓谷社・野外ハンドブック2)の本で見ると、次のように記されている。
<ヒメシロチョウ>はシロチョウ科
これほど弱々しく可憐な蝶はないだろう。病弱な乙女といった感じで飛んでいる。それでもよく見ると、カッと照りつける夏の日射しの中で、暑い草原を飛び回り、蜜を吸っているのだから、本人は元気なのである。翅はやわらかくて、指で曲げるとすぐ曲がるが、折れてしまうことはなく、元通りになる。翅の膜もやわらかい感じだが、それなりに丈夫で、飛び去った後も他の蝶のように大きく破れることはない。ゆっくり、ふわふわと飛ぶのに適した翅の構造にちゃんとなっている。出現期4~8月。食草はツルフジバカマとなっている。

 娘を亡くした後、しばらく庭を小さな白い蝶が往来した。ぼんやりとそれを眺めながら、それを後で「ヒメシロチョウ」という詩にしたのだが、実際、生態の面から読むといろいろ間違っているかもしれない。

 その時飛んでいたのはモンシロチョウやシジミチョウの種だったのかもしれない。庭のイカリ草の間をひらひら飛んでいた白い蝶を図鑑で調べて、ヒメシロチョウが娘の魂に一番近い名前の蝶だと、作品にしてしまったにすぎない。

 だがあれほど蝶を、愛しい想いで見つめたことはなかった。娘の死から27年も経っているが、考えてみると氷河期から存在したという<ヒメシロチョウ>の名を選んだことは、永遠の魂を願う言霊が導いてくれたということだろう。

 ポーランド・アウシュヴィッツの収容所の壁面に刻むように描かれていたという蝶のこともふと思い出した。

 最終連の3行は、実際に無数のヒメシロチョウが現れたということではない。これが詩の自由さである。見えなくなったもの、幻のようにはかなく消えた命、それらが、また何度も再生し魂の形をして(この時は純白の小さな蝶として)言葉を通じて迫ってくるということを表現した。

 思いがけない自分の詩との再会を嬉しく思った。蝶を数えるのは“頭”だが、この詩ではあえて“匹”にしている。その方がこの詩にはふさわしい気がしたからだ。

ヒメシロチョウ

一匹のヒメシロチョウが
いかり草の蜜を吸っている
やわらかい前翅の膜をふるわせて
か細い茎をのぼる水を飲んでいる
初夏の大気が一瞬 息を止める
私の視線は
蝶の触角から紫紅色の花びらを
垂直に伝いながら
地中深く 降りていく
白い蝶は 死者の魂だという
死の間際まで 娘が作り続けた
ビーズ細工の蝶
その一粒一粒が 飛び散る
私の閉ざされた庭
草群を揺らし揺らし
無数のヒメシロチョウが
舞いはじめた

『冬の帽子』に収録(1988年 みもざ書房)


太古の地球と出会う

岩木由子

 最近は親しい友達に出す手紙の冒頭に“長い間のご無沙汰‥”と時間の経過に関する言葉を使うことも多くなった。が自分の人生での長いという単語の意味するところはせいぜい数十年。

 しかし化石との出会いとなるとなかなか、その膨大な時間的空間の隔たりを今の自分と共有できることなど無理だと思っていた。が、庄原での一日は、千数百万年の間、土の下で地層に守られ息をひそめていた生物が私たちの前に化石となって現実に顔をみせた時、
悠久の時空の隔たりが一気に縮まった一日だった。

 庄原は現在中国山地の真ん中程に位置しているが、その地層はかつて海のそこであったとの説明をうけながらバスで紅葉した山々を窓の外に見ながら庄原へ。田んぼの真ん中に降りて周囲を見渡せば高い塀のような地層の切断面が帯のように広がっている。
 
 海の底で長い時間、ほんの少しずつ積み重ねてできた粗い目の層、その上に泥の様な目の細かい層がのびる。地球の歴史をグランドキャニオンでみたときは規模の大きさ、無機質な地球の成り立ちを思わせる大きな風景に驚き感動もしたが、庄原ではまたそれとは異なった親しみある感情の湧き上がりをおぼえた。

 地球の地穀変動を自分の目線で、生活している庭の一部に地球の古い地層をいれて見ているという不思議な時間。千数百万年前の大地を目の前に自分が立っているという神秘さ、不可思議さに胸がざわついた。

 昼食の後、庄原市立比和自然科学博物館では既に開催期間が終わった特別展をわざわざ見せていただくことに。

 バスの中でお話いただいた庄原の地層(備北群層)の中からみつかった千数百万年前のたくさんなクジラの化石、それもその中の一つは現に目の前にいらっしやる山岡さんの名前が付けられたヤマオカクジラなど、それまでのクジラとは異なる新種のクジラだったとのこと。 
 今のクジラとなるまでのクジラの変遷をみるにつけ長い時を経て今があると納得。

 またこの備北層群ができたときは熱帯~亜熱帯の気候でマングローブやサンゴ礁などがあり、マングローブの育っている沼に住んでいた二枚貝、巻貝の化石などがずらっと展示されている。

 その他全国にまたがるもぐらやねずみなどの収集など、小さな博物館であり多大な資料をもった大きな博物館の面目躍如。

 最後には、現実に今の私たちが西城川河床で眠っている化石といざご対面。ハンマーとタガネを借りて探しだす。普段から鍛え方の足りない私は力ださずして皆さんが削がれた破片?を少しずついただきながら、壮大な過去との出会いに感激しながら過ごす。小学生がみつけた葉脈がしっかりついた葉の化石をのぞきこみまたまた感激。すっかり心が洗われた一日だった。

 いまも小さな貝などが多数かたまっている石をそばに平らな河床の上に立った不思議な気持ちを改めて感じている。
 
 こういう充実した庄原の一日をくださった沖村先生、庄原化石集談会の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。


化石ほりに参加して

東広島市立郷田小 5年 金原光希

 11月16日、おばぁちゃんといっしょに、自然研究会の化石さい取に参加しました。
 
 最初に、庄原市の比和自然科学博物館に行き、くじらの化石を見せてもらいました。くじらのたどった道の説明を聞いて、陸に住んでいたカバ類の動物が、海中で生活するようになり、手足がなくなり、泳ぐのに便利なひれができたという説明を、聞きました。
 
 そのくじらの化石を発見した河原に、つれて行ってもらい、化石さい取するための、ハンマーなどをかり、河原におりて、化石の入っているような石を見つけて、ハンマーでたたいてわって化石をさがしました。

 石をたたいても、たたいても、われないので、化石の入っていそうな小さな石をさがして歩いていると、川にころがっていた石にへんな物がくっついていたので、見てもらうと、貝の化石でした。うれしくなり、次々と見つけ、三、四こ見つけました。けれども全部二枚貝でした。

 とても楽しい一日でした。

東広島の自然(2010.3)No.41 掲載

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