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オオサンショウウオ(ハンザキ)の住む里・・・豊栄

みんなの広場

オオサンショウウオ(ハンザキ)の住む里・・・豊栄

オオサンショウウオの生息地を守る会  高松 哲男

 県央の町・豊栄は、東広島市の最北に位置し、突出した高い山もなく、758mの天神岳を最高になだらかな山容に包まれ、世羅台地に連なる賀茂台地と称され、標高350~400m前後のゆるやかで自然に恵まれた地域です。安芸の国と備後の国の接点として歴史的にも興味深く、さらに古代を尋ねますと須恵器の生産や製鉄の遺跡、古墓、古墳等も数多く現存し、古代からの人々の居住の歴史をみることができます。
 余談ながら形成する当地の概況を述べましたが、現時点においての最大の関心は河川であり、その流れにあります。前述したように、高低差の少ない緩やかな地形にありながら、三大河川の源流域を形成している実態に驚くところです。

 三原市(瀬戸内海)を河口とする沼田川水系、三次市を経て島根県に入り日本海に注ぐ江の川、隣町向原町に下り広島湾に流入する太田川等があり、地域の小集落でも、若干の地形の変異により日本海と瀬戸内海に注ぐ河川の源流が背中合わせの状態で形成されていることは、大自然の営みとはいえ興味深いことです。
 町央付近の平野部に位置する集落は、複雑に入り組む丘陵状の山野の中に農耕地や集落が複雑に立地し、湧出する細い水源が合流して河川の形態をなすものであり、人々が住み耕作する農地等と河川の流れに高低差はなく、一般的な河川の源流や上流部とは態様が異なることも注目したい点です。

 地域を形成する自然環境等について累々申し述べましたが、オオサンショウウオが生息している現状とその環境を守ることが今後特に留意すべき点であることを、現況を再確認するなかで強く感じたところであります。身近な山野に生息し、その生命や植生を維持してきた多種・多様な動物・植物を守り保全に努めることは、地域に住む私達の使命であり責務であると認識しなければなりません。

 この他に、従前から居住する私達は、ハンザキ等も特に関心を寄せる希少な生物ではなく、他の魚や生物とともに身近に生息することに何の違和感もなく関心を注ぐものでもなかったと思います。少年時代(昭和初期)には、小学校の夏休みには源流域の藤蔵谷川や三篠川上流域などで15~20cm程度のハンザキを捕らえて遊ぶのが楽しみで、それ故に毎年の夏休みが待ち遠しかった記憶があります。「ハンザキにかまれたら雷が鳴っても離さない」と大人の人達からからかわれながらも、時には30~40cm位のハンザキと戯れたものです。もちろんハンザキが世界的に貴重な生物であること等知る由もありませんでした。

 而して、時代の変革は容赦なく戦後に及び、変革の波は自然界にも及んでいわゆる開発ラッシュの世相を反映し、源流域付近の山々にも余波が及んできたものです。森林の伐採をはじめ、山々の岩石を庭石等の用途のために搬出する事象が随所に見られ、清流の源泉となる地も著しく変容し、自然とは全く異なる状況に変わってきました。また地形的に小規模な谷間が存在する所では、都市近郊部をはじめ各地の開発に伴う土砂や有害な怖れのある廃棄物等を投棄し、埋め立てる事例が多発し、有害物質等のたれ流しの状況も起こる等の問題となってきました。

 このような状況に及んで、土地の所有者をはじめ流域の住民が結集して、このような状況を阻止するための様々な活動を進めてきました。それぞれの問題にその時点で対処してきた成果はもちろんですが、河川の汚濁を防ぎ、きれいな水を守ることについての認識は、住民の皆さん方にもかなり芽生えてきたように思われ、その後の動きにも大きな力になったと感じています。

 オオサンショウウオをはじめ河川や流域に生息する生物や植物を守る意義の大きいことは述べるまでもありませんが、特に昭和27年に,「オオサンショウウオ」が我が国の特別天然記念物に指定されたこともあり、私達の身近に生息するものでもありますので、その保護とそのための環境を守る動きは一般に力強くなってきたと感じます。

 河川を守る活動の一端として「ハンザキ」を中心とした保護活動を大きく取り上げ、町内の各地に立て看板を設置して河川の汚濁防止を呼びかけ、機会あるごとに地域の声として盛り上げてきました。また一方で、河川に生息する生物の調査、特に「ハンザキ」を中心とした生息実態の調査とその保護活動を目指して「オオサンショウウオの生息地を守る会」を組織し、昭和40年頃から毎年関係河川を探訪して生息実態の把握に努めてきました。この活動は、現在も続け40数年に及びますが、専門知識等に基づく学術的な調査ではなく、生息実態や環境を把握する程度に過ぎませんが、この間に生息数の極度の減少等は見られず現在に至っています。視認した成体は体長40~80cm程度が多く、稀に1mを超えるものもありました。20~30cm程度の若い個体は三篠川流域に生息するものが多く、椋梨川流域ではこのような若い個体の視認は少なかったと思います。また、繁殖の実態等については把握していませんが、生息環境の急変による生息域の減少等は近年急増し、絶滅の危機さえ覚える地域が多くなってきました。最大の要因は人為による生育環境の破壊です。

 豊かな自然と一体化して水田があり、清らかな水をたたえて草木の生長や生物の生存が支えられていました。しかし、戦後の食料増産や作業形態の変革に伴う開発・改良の名のもとに豊かな自然は壊滅し、環境激変の中にさらされてしまいました。一例として、水田に注がれる水は湛水のための井堰によって河川から導かれていましたが、これらの井堰の構造は雑木の束と粘土質の土によって築造され、極めて粗雑な施設で多少の洪水等で破損する等河川の止水状態から解放され、河川に生息する魚類や生物の移動等もある程度可能な状態に保たれていました。しかし、戦後築造された井堰はコンクリートによる固定堰やゴム風船を併用した自動堰が設けられています。これらは何れも河川の上下流を遮断するものであり、生息する魚類をはじめ生物は居住域を一定区間ごとに固定化されることになります。各流域に築造されている無数の井堰はほとんどがこの形態であります。生物が上下流に移動可能な構造をもつ井堰は皆無に近い状態です。河川・水中に生息する生物にとっては誠に過酷な環境にさらされています。

 更に一方で水田は圃場整備が急速に進められ、農作業の機械化と相まって著しい変容をもたらしてきました。ドジョウ・ウナギ・カエルなどが生息し「溝」と呼ばれた土・泥の水路は完全に姿を消し、生物の住む場所は完全に奪われてきました。加えて、河川護岸の改修、里道・耕作道等の整備も行われてきました。コンクリートブロックによって固められ、場所によっては河底もコンクリート化し三面共にコンクリート河川となり、自然度の高い環境は完全に奪われてきました。

 このような事態を憂慮して、私達は若干の箇所について可能な限り自然を残すよう施工に当たっての配慮を進言してきましたが、行政の対応は極めて消極的なもので、実現したものは僅少に過ぎません。「オオサンショウウオ」の住む諸川の源流域にある当地も時代の波(自然破壊の波)に洗われてきたと思います。

 清らかな水の流れとそこに住む多様な生物・植生、それこそが自然であり何らの違和感もなく共存してきましたが、前述したような事態は何としても許容する訳にはいきません。ウナギ・ナマズ・ゴッポウ(*ドンコ)・スナハミ(*カマツカ)・ハヤ(*カワムツ)・フナ・ニガッソウ(*アブラボテ、*ヤリタナゴ)・ムギツク・テンギリ(*アカザ)・コイ・ドジョウ・タニシ・カメ・カエル・ヘビなど数えあげれば際限ない程の水辺に住む生物達、今はただ記憶に残るだけで、ほとんど目視することは皆無となりました。地域の自然・環境は今後どのように変貌するのか想像だにできません。

「オオサンショウウオ」の生息実態を探訪する中で私達が指摘してきた留意点や改変の方途等は、ほとんど実現しないまま結果だけが現実として存在しています。最大の問題点は行政の在り方に起因するもので、いわゆる行政の縦割りがその最たるものであると思考いたします。戦後まもなく激変する政情の中で国の特別天然記念物に指定され、世界的にも稀少な生物としてその保護と保全が求められている「オオサンショウウオ」です。多様な行政施策の中でも特に留意し連携を密にした対応を求めたいと思います。

 従前から河川・水路等の改修や復旧工事等の現場等でも、前述の視点から様々な要望・提言をしてきましたが、ほとんど実現していません。「覆水盆に返らず」の実態があまりにも多く存在することに留意し、後の施策に当たっては格段の配慮により環境の保全に対応し、それによって貴重な文化財でもある「ハンザキ」の生息保全を図っていくべきだと痛感します。更に近年、水源を形成する周辺の山林において大面積に亘る伐採が行われつつあり、そのために洪水や湧水の枯渇等河川の源流域をはじめ上流部にも様々な事象が現れているものと懸念しています。早急な実態の把握と対応を求めたいと思います。

 現在調査されている地域は沼田川の上流部で、椋梨川の源流域を形成する藤蔵谷川と呼ばれる一帯ですが、豊栄町における「オオサンショウウオ」の生息地は、現在地に近接する太田川の上流三篠川やその源流付近も主要な生息地域です。隣町向原町と接する谷坂・米山・串集落、更に豊栄池を経て大草田集落一帯の源流域で私達が進めてきた積年の調査によれば、生息密度も高く、特に若年と思われる成体の生息が視認されていますし、更に1mを超える成体も生息している等で、この地域についても細密な現況把握が肝要と思います。

 大自然の中でかしましく動き回りエサをついばみ飛び交う群雀、夏の夜の定番であった蛙の鳴き声も耳にすることはなくなってきました。長年に亘り何等の対応もしない中でも優しさと暖かさを覚えてきた自然界は急速に変容しつつあります。近年の事象は遠からず人類の生存・居住等を否定する前段となるのではないかと憂慮するところです。「オオサンショウウオ」の生息を願うに留まらず、自然と環境の保全に一層の理解と対応を求められていると痛感します。私達が長年に亘り地域の皆さんの暖かく力強い御支援のもとに歩んできた道、「川をきれいに」と呼びかけた立看板も一定の御理解と実践に努めていただいたと思います。しかしながら、これまでに申し述べましたように、行政の在り方や世相の変遷等の諸情勢から活動の成果に限界があることも痛感してきました。東広島市に合併して7年、「オオサンショウウオ」の保護やその生息地を守るための施策等期待してきましたが、教育行政をはじめ何等の対応もなく現在に至っています。

 このような状況の中、幸いにして一昨年から東広島市自然研究会の皆さんをはじめ広島大学、市教育委員会、特に安佐動物公園等で長年に亘り「オオサンショウウオ」の生態・生息調査等専門的な視点にたって研究に努めてこられた桑原先生等地域住民以外の多くの方々のご参加をいただいて、多様な視点から生態や生息状況の調査・把握に努めていただいています。深く敬意を表しますと共に期待を寄せるものであります。

 いずれにしても、豊栄町における「ハンザキ」の生息地域は現在調査中の沼田川流域に留まらず、太田川(三篠川)流域も重要な生息地でありますので、今後とも息の永い活動が求められることと思います。更に一点申し述べたいと思うのは,地域の若年の人達の参加です。既存の組織に在る人達は高齢者が多く、活動にも限界があります。活性化は組織にとって急務です。県内でも小・中・高校生達がグループを組んで活動している事例が各地にありますが、豊栄町では全くそのような動きはないようです。学校教育の面からは対応の難しい問題なのでしょうか。


*は淡水魚の和名を書き込みました。(編集委員)
参考文献 増補・改訂版 広島県の淡水魚:1994 比婆科学教育振興会編 中国新聞社

東広島の自然(2013.3)No.44 掲載

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