自然に親しみ、観て触れて学びながら、自然を守ろう

豊かな里海・瀬戸内海ものがたり

豊かな里海・瀬戸内海ものがたり

沖村雄二
プロフィール

沖村先生顔写真.jpg

広島大学総合博物館 第3回企画展への協力 (東広島市自然研究会の協力機関)

 平成の市町村大合併により、東広島市にも海の環境がくわわり、瀬戸内海とは無関係ではなくなったようです。広島大学総合博物館の展示テーマは、里山そして里海を謳っていて、企画展は東広島市にとっても、中国地方の大地-その自然環境の変遷を追う興味深いものでした。

 筆者は、地質学的・古生物学的立場からこの企画展に参加することができ、3万人近い見学者がどのような受け止め方をされたか、東広島市との関連を踏まえながら、展示会の内容を紹介して、自然環境の変遷について考えてみたいと思い特集記事にとりあげました。

日本海の誕生

 瀬戸内海の歴史を遡ると、約1600万年前の古瀬戸内海と呼ばれる海が、中国山脈を横切ってひろがっていた証拠を探ることから始めなくてはなりません。しかし、東広島市地域には古瀬戸内海とのかかわりを示す証拠はありませんが、日本海が生まれる前、日本列島になる地域がアジア大陸の東の端に位置していた頃(図1)、今の黒瀬川の流域(西条盆地と黒瀬盆地)を取り囲んで発達している連山は、流紋岩と呼ばれる溶岩を大量に噴出していたことを示しています(中生代の終わり頃で、恐竜がまだ生きていた時代です)。

画像をクリックすると拡大します。

図1.jpg
図1

 その頃、まだ日本海はなく、新生代の中ごろ(約2000万年ぐらい前)から日本海が開き始めて、日本列島の形ができはじめたと考えられています。そして、日本海側では緑色岩と呼ばれる安山岩質岩からなる激しい火山活動があったことも分かっています。今でも山陰地方に熱いお湯がでる温泉がたくさんあるのは、その影響が続いているのかもしれません。

古瀬戸内海

 数百万年かかって、日本海が現在の広さと形に近くなった頃、古太平洋と日本海がつながりクジラも泳いでいたようです。その海のことを地質学者は古瀬戸内海と呼んでいます。その海の底に堆積した地層を備北層群と言い、広島県の北部、三次市・庄原市地域が模式地として、詳しい地質調査が行われています。

 備北層群からは、亜熱帯の気候を示す多くの貝化石がみつかるのをはじめ、現在の琉球列島南部の島々で繁茂している植物群に比較されるような、マングローブ林もみつかりました(図2)。そのほか熱帯性の気候を示す植物化石もたくさんみつかり、現在の瀬戸内海と同じように多島海であったこともわかり、温暖な自然環境であったと考えられています。

図2.jpg

備北層群から発見された化石

 会場の広島市こども文化科学舘には、備北層群から産出したたくさんの化石が展示されました。なかでも話題をさらったのは、7mを超す全身が復元された形で展示されたクジラの骨だったようです。現在、備北層群からは10頭をこすヒゲクジラの仲間の化石が発見され、うち3頭は新種として報告されています(図3)。

図3.jpg

 二枚貝や巻貝の化石もたくさん展示されましたが、化石が発見されたことで、地層の年代が直ぐ決まる化石(示準化石)である巻貝のビカリヤ、生息していた環境を示す(示相化石)マングローブシジミをはじめ、貝殻が大きくて厚いカキの仲間が注目されたようです。庄原市東城町で発見された熱帯性の大型植物化石群は、古瀬戸内海地域の陸の環境を示す資料として、初めて公開されました(図4)。

図4.jpg

古瀬戸内海が干上がった

 古瀬戸内海があった地質時代は、中新世と呼ばれる1600~1500万年ぐらい前で、つづく鮮新世は海退期にあたるのですが、詳しいことはよく分かっていません。しかし、古瀬戸内海を特徴付ける化石や地層が、今の瀬戸内海で海面下400m(ボーリング試料)に見つかっているその一方で、標高1050mの中国山地(広島県吾妻山)でも見つかっているのです。約1500mもずれていることになり、中国山脈の形成と深くかかわった地盤変動が考えられます(図5)。

 中国地方には、吉備高原面と呼ばれる標高500~600mの平坦な地形が発達していて、古瀬戸内海の消滅と関連した隆起運動による山岳地帯と、それにともなう浸食地形が形成される作用が働いたことは確かです。東広島市に発達する70万年も前に形成されたとされる河川成の地層、西条層が形成される盆地の受け皿となった地形の基盤となる形ができた時代にあたるのでしょう。

図5.jpg

ナウマンゾウが闊歩していたころの瀬戸内海

 古瀬戸内海を消滅させた中国山脈地域の隆起と、日本海側と瀬戸内海側の相対的な沈降は、今の瀬戸内海地域にゾウが住めるような大草原の出現につながったようです(200万年~3万年ぐらい前)。中国山地の南縁部にあたる広島県世羅町、日本海の海底、そして瀬戸内海の海底からも多くのゾウの化石が見つかっていますから、明らかに古瀬戸内海地域が象の住める環境に変わっていったことを示しています。

 1956年、広島湾の出口、山口県大島の東-愛媛県二神島の間にある諸島水道から、150標本以上のナウマンゾウの牙・歯・脊椎骨・足の骨など、ゾウの体を復元できるほど大量の化石が引き上げられました。当時形成された陸成の地層のなかにあったゾウの化石が、洗い出されて海釜と呼ばれる深まりに集められたと考えられますから、けっして一頭のゾウではなく、ひじょうに多くのゾウが生息していたことは間違いありません。その証拠に、現在の瀬戸内海のほとんど全域からナウマンゾウの化石が発見されています。しかし、これほど多くのナウマンゾウの化石がまとまって産出した例はほかにはありません(図6)。

 諸島標本と呼ばれるナウマンゾウの化石は、研究された論文とともに、標本番号がつけられて広島大学総合博物館に所蔵されています。瀬戸内海の成り立ちを証明する資料として、学校教育や公民館活動で活用されることをお奨めします。

図6.jpg


石や化石は世界共通 ・・・ 一緒に学べる喜び


 かって、ほとんどの小学校にあった岩石園を覚えておられる会員も多いことでしょう。沖村は2年間にわたり、東広島市立志和東小学校での「大地と化石」を中心した授業を行いました。今は大陸だがシルクロード地域では海の生物の化石がたくさん採取されることや、海でできた地層と今もできつつある陸の地層についてスライドを使って指導し、サンゴやアンモナイトの化石を展示する一方で、岩石の見方や岩石園の整備に協力しました。

 2年連続した行事、来年度も実施される予定ですが、東広島市生涯学習課・広島大学マスターズによる、野っぱら探検講座(小学生4年生以上の児童と父兄対象で希望者を一般公募)を西条龍王山で開き、岩石・地形・地質の関係を観察指導。あわせて示準化石と示相化石を展示しました。

 4月から2回/月,NHK文化センター広島教室で、「地球の歴史」講座を担当して、地球の生命体説、生命の誕生説にはじまり、生物が地球環境を支配してきた歴史と地球表層の海陸の位置関係の変化の歴史などを解説(シルクロードに残されている地球環境変遷と人々の生活をスライドで紹介)

 7月には、尾道市御調町大羽谷川において、自然環境保護の啓蒙活動に貢献するために、この谷川周辺の地形・地質・岩石に着いて調査・指導を行い、河南地区の多くの方々と懇親。日本列島がアジア大陸の東端にあって日本海はなかったころの岩石、広域噴火の流紋岩質岩(火山岩と火山灰)の特徴を解説。

 8月には、広島こども文化科学舘・広島大学総合博物館共催の事業・企画展、「ゆたかな里海・瀬戸内海ものがたり」“クジラが泳いでいた海”を中心とした展示と講演で協力した(ちなみに、この企画展での入場者は3万人近くにのぼり、大きな反響を呼びました。

東広島の自然(2010.3)No.41 掲載

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional