自然に親しみ、観て触れて学びながら、自然を守ろう

オオサンショウウオとの出会い

オオサンショウウオとの出会い

東広島市自然研究会 会長  土岡 健太

椋梨川上流部のオオサンショウウオ生息分布調査をはじめて

私にとって2011年度-東広島市豊栄町椋梨川上流部でのオオサンショウウオの分布調査活動は、まさに「騒動」だった。オオサンショウウオに「一目ぼれをした」と言っても良いかもしれない。

本論は椋梨川で出会った彼らと私の「やりとり」を中心に書きすすめているので、オオサンショウウオの生物としての一般的な説明などはしていない。文末の参考文献やインターネットなどで各自調べていただきたい。

2011.4.3に実施された自然観察会「どんどん渕の岩石とお花見ほか」のはじめの目論見は、彼らの「生息地の見学」だけで十分と思っていた。しかしその日、彼らを初めて「目撃」して以来、私のテンションは上がったままで、いまだに下りてこない。

新年度(2012)の本格的な調査に向けて、いままでのオオサンショウウオに関連した活動結果を時系列的に記録しておきたいと思う。

画像をクリックすると拡大します。

写真1.jpg
覗き込む参加者

きっかけ

豊栄町のオオサンショウウオの存在は、米門会員による桑原先生の「自然大好き」に学ぶ・・報告文(会報40号、2008.12)によって知ってはいた。また、現地の「ハンザキのすむ里」などの看板からも知っていた。しかし、目撃した時の実感に比すれば、それらは単なる知識だけであった。

また、数年前に島根県邑南町の瑞穂ハンザケ自然館で見ていたし、2011年1月22日に、安佐動物公園から自然研に案内のあった「両生類の箱舟 A-Ark ワークショップ in 広島」の行事で、非公開の繁殖用水槽内のオオサンショウウオも見ていたのだが、豊栄のそれに比べ実感は少なかった。なぜだろうか?と自問した。見た条件がまるで違うということに気がついた。

国の特別天然記念物である彼らが、自然の状態で、しかも民家のそば近くの小さな川で普通に生息しているその姿を体感し、「不思議だ。信じられない!」と驚愕したことは忘れられない。そして、彼らのことをもっと知りたいと思った。

しかし、新しい具体的な資料はなかった。それで、「オオサンショウウオの生息地を守る会」代表の高松哲男さんに、「守る会が調査されるときは、ぜひ一緒に協力させてほしい」と申し入れたところ、「かつて、生息地を守る会や豊栄の自然を守る会は活発に調査や啓蒙活動などをしたが、現在はメンバーも少なく高齢であるため調査や調査協力はできないが、あなた達が調査されるのであれば、案内程度はしてあげる」と言われ、まずは代表に受け入れていただいた。「本当にありがたいな」と思った。

しかし、彼らは国の特別天然記念物であり、勝手に触ることもできない生き物である。
「さて、どうしたものか」と、東広島市教育委員会生涯学習部文化課に問い合わせてみたところ、文化課の返事は「できる支援はしますから、どんどん調査してほしい。調査の許可申請の窓口はここですので、調査についてはうちが文化庁に書類を出します」と前向きなお言葉と地形図(2500分の1)や概略の分布図をいただいた。

さらに広島大学総合博物館の清水先生に問いかけてみた。「大学院生や学生の協力も得て、調査をやってみましょうよ」と、ここも積極的なお言葉。私自身は「引くに引けなくなった」と感じたが、「見ただけ」というだけなので、まだ調査に自信が持てず、不安が残った。

「じゃあ、安佐動物公園の桑原先生のところに行って勉強しましょう」と提案して、7月4日、動物公園で希望者10名が彼らの基本的な事項の習得と非公開の水槽を見学した。約40年間の実績と約400回近くのフィールド調査を経験された動物公園の桑原さん、足利さん、田口さんから「無理をしないよう、ぼちぼちと、楽しみながらやりましょう」と背中を押された。結果、次のステージに入ることができたのである。

初めての調査

8月6日午後8時、高松さん宅に集合し、氏のご案内で、いよいよ第一回目の調査である。

調査地は椋梨川上流部、距離約3460m。とりあえず、彼らの移動障害になる堰と堰の間を1区間とし、全行程を6区間に区切った。一般的な調査は5~11月の間の日没後約2時間、川を400~500m程度歩くと言われる。捕獲班が川の中で彼らを探し捕獲する。川土手の記録班が時刻、捕獲位置、水温ほか状況の記録、身長・体重などの身体的な記録、個体識別のための外見上の特徴(斑紋・傷あとなど)を観察して調査簿に記入し、写真撮影後、捕獲した元の位置に放流するというのが主な作業内容である。

夜に川の中や川土手を歩くという。私にはまったく経験がないので不安でいっぱいになる。一見大きな川ではないが、深みや底質が分からない。川土手にはマムシもいそうだ。不安に対してはヘッドライトや虫よけスプレー、毒抜きの器具など充分すぎるほどの準備をした。

写真2.jpg

嬉しいことに安佐動物公園の桑原さん、田口さんがボランティアで指導に来てくれ大変心強かった。地元の「豊栄の自然を守る会」の佐藤捷徳さん、岡崎萬治さん、教育委員会から2名、広島大学総合博物館の清水先生や橋本知佳さん、大学院生さん、広大いきもの会のメンバー、自然研、中国新聞社の記者、総勢19名が参加。調査予定区域のあたりは真っ暗なので、参加者のヘッドライトや懐中電灯の灯りだけが頼りだが、大人数で心強い。

高松さんの「この渕には棲んでいる」という指示に、捕獲班は川中に入り、桑原先生とともに水中に目を凝らす。石に足を滑らせないようにタモ網を探る。あっという間に3頭捕獲できた。午後8時35分、記念すべき瞬間であった。

写真3.jpg

一気にボルテージが上がった。記録班はさっそく作業に入り、田口さんの指導で観察点などを教えていただいた。附録1はその第一号の調査原簿である。その後上流に向かい、スッポンやウナギ、カワムツなど他の生き物も記録しながら予定時間を無事故で終了。初めての調査体験と思いがけない大成果に、みんな興奮していた。また、オオサンショウウオのおとなしい性格や緩慢な動きも分かり、彼らに対して親近感が湧いた。

新聞記事1.jpg
新聞記事①

全国大会に出席

桑原先生から「気さくな集まりだから行きませんか?」と誘われ、10月1、2日、愛知県瀬戸市で開催された「第8回日本オオサンショウウオの会瀬戸市(愛知)大会」に参加した。東京から九州までの広い範囲の研究者・研究団体・自然保護団体・行政関係者・愛好家・地元、下半田川町の方々など集まった顔ぶれもいろいろであったが、参加133人の皆さんの顔には「オオサンショウウオ大好き」という表情が満ち溢れていた。

第一日目は大会行事と研究、活動などの発表と現地観察会、次の日は現地観察会と東山動物園のバックヤードの見学と実に盛りだくさんであった。大変驚いたことがあった。いつもお世話になっている安佐動物公園の桑原先生が当会の会長だったことだ。会長挨拶の中で「広島県東広島市豊栄町でオオサンショウウオが生息している」と報告され、私どもの活動が全国に知られることとなった。

写真4.jpg
桑原会長挨拶

また、瀬戸市の皆さんはじめ様々な方と交流できるきっかけを作ることができた。振り返って考えると、私達はまだ数えるほどしか調査していないのに、捕獲・記録できた数などの手ごたえから、豊栄町のサンショウウオ達が全国デビューしてもそん色ないと改めて感じた。全国大会に出席したことで広い視野を持つことができた。誘っていただいた桑原先生に感謝したい。今年秋、「第9回大会」が山口県岩国市錦町で開催される予定なので、ぜひとも参加したいと思っている。

生息地と認定

第1回目の調査は予定の1区間の半分までしかできなかったため、その反省と見直しの結果、調査区域はより下流側のアンゴウ堰を調査の起点とした。

2回目の調査は10月8日午後8時から行い、アンゴウ堰から高松さん宅までの第1区間距離880m、夜の川を20名で調査した。動物園から桑原先生も来ていただき、成体3頭を捕獲し記録した。

そして、先生より「ここ(椋梨川上流部)はオオサンショウウオが生息している。今後は、捕獲したオオサンショウウオにマイクロチップを挿入し個体識別を正確にして、彼らの調査・記録をしたほうが良い。」と生息地の認定と今後の方向性を示していただいた。

未調査区域を下見

12月12日(月)PM0:00~4:00、昼間の明るい時に残りの行程の下見をしたいと思い、数名が川に入った。当日はじめは、高松さん宅下流のオオサンショウウオの遺体を回収した。1時間ばかり、冷たい水に手を差し入れて、その形を崩さないよう注意しながら、出来る限りの部位を回収。その後、川中の状態を把握しながら予定時間を歩いた。約400m残ったが、思いがけず、本日も成体3頭を捕獲・記録した。

写真5.jpg
高松さんと

主目的の川の状況はヨシ?が行く手を阻み難儀するところもあったし、途中一ヶ所ほどやや深めの渕があり迂回したりしたが、なんとか調査ができそうだと自信がついた。

写真6.jpg
藪こぎ!?

骨格標本を観察

回収した遺体の一部はエタノール漬にして遺伝子解析用に保存、骨の部分は乾燥して保存している。後日の骨格組み立て作業のために、教育委員会文化課より、豊栄町安宿地域センターに保管されていた「豊栄町史」に掲載されている骨格標本を借り受けている。そのラベルには平成10年、製作者 高盛宇吾と記されている。標本を残された関係者に敬意を払いたい。現在、回収した遺体や骨格標本は広島大学総合博物館に一時預かってもらっている。

写真7.jpg
骨格標本
この標本を観察されたい方はご一報ください。

河川改修時にオオサンショウウオ保護の要望

高松さん宅から約1.5㎞下流で河川工事が行われていた。この付近は今回の調査の区域外であったが、いままで生息が確認されていた場所のすぐ上流近くである。さっそく、1月26日付、高松さんとの連名で広島県西部建設事務所、東広島市教育委員会に「椋梨川のオオサンショウウオの保護と生息環境の保全についてのお願い」の要望書を提出した。

繁殖の確認

2月15日(水)PM 2:15~4:30 はじめは、前述の河川改修現場で市教委文化課の伊藤さんからオオサンショウウオの生息環境に配慮した人工巣穴設置などの説明を受けた。

要望書提出後の県や市教委の敏速な対応に感謝する。
(この件は3月29日、現地で改修後の説明を受けた。おもに彼らの避難場所用として、魚巣用のヒューム管-径30cm・長さ200cm-を2か所ほど付加工事していただいた。)

幼生調査は安佐動物公園の桑原先生に助言をいただき、その方法や見つかりそうな場所などを教えていただいた。当日の気温7.3℃、水温5.7℃、真冬の川である。捕獲班は清水先生に指揮・先導していただき、つわもの6名が川に入り、「オオサンショウウオの赤ちゃん」を探した。

桑原先生から、「見つかるとすれば、今年最後のチャンス」と言われていただけに、「1頭でも見つけて」と祈る気持ちであった。調査開始30分後、午後3:08、「おったよ」の大きな声。昨秋、産卵巣穴でふ化し、年明けに巣穴を出た幼生(1頭の体長約5cm、体重約1.4g)10頭がつぎつぎに捕獲できた。

写真8.jpg
幼生

繁殖が確認された瞬間だった。また、数百m上流でヌシと思われる成体も1頭捕獲、記録できた。

新聞記事2.jpg
新聞記事②

広島大学地域連携推進事業プロジェクトに採択

オオサンショウウオ調査などに関する協力を広島大学の地域貢献推進事業に提案したところ、2月16日、正式に認められた。
(その提案書を附録3として文末に添付しているので参考にしてほしい)。広島大学総合博物館の清水則雄先生や橋本知佳さん、大学院生の山崎大海さん、新野洋平さん、広大いきもの会の釜野靖子さん、堀川大輔さんほか達が受け止めくれた。広島大学と正式に事業を進めていくということは、この調査に学術的価値があり、その成果は多分野に学問的な貢献ができそうだと認められたと判断しても良いと思う。

また、地域や東広島市の環境教育の貴重な素材をも得られるという可能性が出てきた。と同時に、課せられた責任も重くなった。

魚類生態研究会見学

2月18日(土)、広島大学生物生産学部で鳥取大学の岡田純氏ほかが「オオサンショウウオの卵保護行動の観察」を口頭発表されたので、聴講した。

退職記念祝賀会に参加

平成24年3月10日(土)、「桑原一司さんの38年間と大山椒魚を想う会」の案内を受け、沖村顧問と出席した。会場には7テーブルほどセットされ、それぞれのテーブルには研究者、動物園・水族館、北広島町の方々、当会の様な地元の調査研究団体、保護団体など、安佐動物公園の関係者にグループ化して席を配され、共通の話題が生まれるよう工夫されていた。私の席には瀬戸市大会でお会いした人たちもおられたので、より親交を深めることができた。文字通り、桑原先生が今日まで一緒に頑張ってこられたお仲間、友人を含めた出席者52人全員とともに、これからも一緒にやっていこうと宣言され、私は大変深い感銘を受けた。


まとめ

昨年8月から今年2月までの7ヶ月の短期間、夜間に2回、昼間に1回の合計3回の調査の中で、成体11頭(重複の可能性あり)、幼生10頭を捕獲・記録できた。

本年は予備調査だったが、結果、この椋梨川上流部が彼らの生息地かつ繁殖地であると実証できた。このことは大変大きな成果だと思う。

この成果は安佐動物公園の指導や助言がなければ達成されなかったであろうし、調査に当たったフィールドでの経験豊富な清水則雄先生と、広大の大学院生(山崎大海さん、新野洋平さん、長谷川尋士さん、越智雄一郎さん)や学生の皆さん(前田祐伽さん、いきもの会:釜野靖子さん、松下悟士さん、堀川大輔さん、増田尚哉さん、鈴木祥吾さん)なくしてはこれらの成果は得られなかったであろう。

地元の皆さんや広島大学総合博物館の皆さん、市教育委員会さんも巻き込んだ、全員の熱い想いと力強い応援の結集したものであると思っている。

また、本年度、オオサンショウウオ調査に関わった東広島市自然研のメンバーは沖村雄二、石丸正喜、船越雄治、上田 進、青野龍己、平山敏枝、伊藤友紀子、倉本玲子、福永みちる(会員 敬称略)である。記してお礼申し上げたい。

次年度からは、調査回数を増やし、マイクロチップ挿入による個体識別調査を開始する予定である(チップに埋め込まれた個体情報を読み取る専用機械(リーダー)は、この度、教育委員会文化課がわざわざ購入し、すでに本会に貸与されている)。

これらから、正確な分布状態や再生産の状況を把握したい。さらにはこれら成果の発信・活用も検討・実施したいと考えている。

以上、私見をはさみ、ながながと書き連ねたが、まだ「騒動」が治まっていないようだ。その点をご斟酌くだされば、ありがたいことである。

平成24(2012)年3月31日記

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional