自然に親しみ、観て触れて学びながら、自然を守ろう

オオサンショウウオの現在

みんなの広場

オオサンショウウオの現在

桑原 一司

日本オオサンショウウオの会 会長

広島市安佐動物公園 前副園長

オオサンショウウオとは
特別天然記念物
 オオサンショウウオは、日本国の特別天然記念物である。国の定める天然記念物とは、日本の自然を記念するものとして学術上文化上貴重な動植物や地質鉱物ならびにその地域を対象に定めたもので、特に重要なものを特別天然記念物としている。オオサンショウウオは、日本の固有種であり、世界最大の両生類、太古の原始両生類を彷彿とさせる「生きた化石」、一生を水中で過ごす両生類などの学術上重要な特徴をもつ両生類で、日本が世界に誇る希少動物である。1952 年に、地域を定めず個体そのものを特別天然記念物に定め、国宝に当たる扱いとして文化財保護法により厳重に保護している。

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1.オオサンショウウオ Andrias japonicus

世界に3 種
 オオサンショウウオ科の両生類は、世界に3 種生息している。オオサンショウウオ Andrias japonicus、 チュウゴクオオサンショウウオAndrias davidianus、アメリカオオサンショウウオCryptobranchus alleganiensisである。オオサンショウウオは、日本のみに生息している固有種で、1935 年にテムミンクにより記載された。チュウゴクオオサンショウウオは中華人民共和国の長江、黄河流域に生息する種で、1871 年にブランシャールにより記載された1)。日本のオオサンショウウオと類似しているが、眼がとび出ている、地色より斑紋の方が薄い、尾が長い、頭が扁平などの特徴をもつ。日本のオオサンショウウオの亜種とされたこともあるが、現在は同じAndrias 属の独立した種として扱われている。アメリカオオサンショウウオは、アメリカ合衆国のミズリー川流域に生息する種で、ヘルベンダーとオザークヘルベンダーの2 亜種がある。アメリカオオサンショウウオは、最大全長70 ㎝とやや小型で、成熟後も一対の鰓孔が開口しているなど、他の2 種とは異なる属のオオサンショウウオである。

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2.チュウゴクオオサンショウウオ Andrias davidianus

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3.アメリカオオサンショウウオ
Cryptobranchus alleganiensis bishopi
写真提供 Jeff Briggler

世界最大級の両生類
 カエルやイモリの仲間である両生類は、世界に約5800 種が知られるが、現存する両生類のほとんどは手のひらに載る大きさである。その中で、日本のオオサンショウウオは全長150 ㎝、体重30 ㎏にもなる、飛び抜けて大きい世界最大級の両生類である。標本が現存する最大のオオサンショウは、広島市安佐動物公園の動物科学館に展示されている全長150.5 ㎝、体重27.6 ㎏の個体で、1993 年に広島県高田郡高宮町川根の江の川支流の田草川で保護され、2002 年に死亡した個体で、保護時にすでに全長が146 ㎝あった2)。自然の川に暮らすオオサンショウウオ成体の一般的な大きさは40 ㎝~90 ㎝3),4)、120 ㎝を超える個体はごく稀である。

生きた化石
 3 億年も前の石炭紀と呼ばれる時代には4mもある両生類が生息していたことが分かっているが、現在の地球上にはこのように大きい両生類はいない。1726 年、アルプスの山中から巨大な両生類の化石が発見された。それは、最初はノアの洪水で死んだ人の化石だと言われたが、1811 年にフランスの動物学者キュビエが3000 万年昔の巨大な両生類の化石であることをつきとめた。アンドリアス・ショイツアーと名付けられたその巨大な両生類は、ヨーロッパではすでに死に絶えた過去の動物であった。ところが、来日したシーボルトが、1826 年に伊賀の坂の下においてオオサンショウウオを見出す。弟子に採集させた生きものの中にオオサンショウウオがいたのだ。シーボルトはその重大さに気づき、本国オランダに連れ帰った3)。それはアンドリアス・ショイツアーの生き残りかとも思える巨大両生類の発見であった。現在のオオサンショウウオはショイツアーと骨格の形態がほとんど変わらず、同じAndrias の属名を戴いている。こうして日本のオオサンショウウオは、「世界最大の両生類・生きた化石」と称され、世界で最も有名な生きものになった。現在、この化石標本の年代は、2300 万年前とされている5)。ヒトは約600 万年の間にサルの祖先からヒトへと進化したが、オオサンショウウオは2300 万年以上もの時間を、形態を変化させずに生き残ってきた生きものである。

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4. 2300万年前の化石オオサンショウウオ
Andrias scheuchzer (レプリカ 安佐動物公園所蔵)

謎多く変わり者の両生類
 オオサンショウウオは、両生類としては変わり者である。一般に、両生類はカエルのオタマジャクシのように小さいときは水中で暮らし、大きくなれば変態をして陸上で暮らす生きもので、だから両生類と呼ばれる。ところがオオサンショウウオは、幼生の鰓がなくなり肺呼吸をする幼体へと変態した後も、一生を水中で暮らす極めて変わった両生類なのである。
 それだけではなくオオサンショウウオは謎だらけの生きものである。成熟年齢や寿命もよく分からないが、性別も外見からは分からない。総排出口の周辺が繁殖期に膨らんだものは雄であるが、膨らんでないものは雄か雌か分からない。寿命は100 年くらいと言われるが、誰も一匹のオオサンショウウオが誕生し、寿命を終えて死ぬまでを確かめた人がいない。岡山県で飼育されていたオオサンショウウオが116 歳まで生きたという記述があるが6)、飼育記録をともなわないため、正式な記録にはなっていない。確実な記録としては、シーボルトが持ち帰り、アムステルダム動物園で死亡した、飼育期間50 年10 か月である7)。しかし、国内には50 年以上の非公式な飼育記録は多くあり、オオサンショウウオは、多くの専門家が100 歳くらいまでは生きるだろうと思っている。
 何歳で大人になるのか、これも全く分からないことであったが、安佐動物公園の研究で、成熟年齢が分かってきた。安佐動物公園生まれの「イガグリ」というおかしな名前のオオサンショウウオが、1998 年に産卵したのだ。17 歳9 か月であった8)。その後、次々と飼育下で産卵に参加する個体が現れ、雄、雌ともに、飼育下では16 歳から17 歳で成熟することが分かった。16 歳から17 歳で大人になり、100 歳くらいまで生きる。なんとオオサンショウウオの一生は人の一生と似ていることか。1 匹1 匹のオオサンショウウオがもつ命の重みに驚かされる。自然の川での成体の成長は1 年間で1 ㎝未満のものが多いという4)。川で70 ㎝のオオサンショウウオを見かけたら、おそらく50 年以上は生きてきたのであろう。


オオサンショウウオのくらし
里山の生きもの
 オオサンショウウオは、中国地方では、山中の渓流には少なく、むしろ人里の川に暮らす里山の生きものである。人家のそばを流れる川に生息し、人間が築いた石積み護岸の穴や川岸を強化するために植えた竹林土手の水に洗われてできた深い穴に住み着いている。オオサンショウウオは人間が作ったこれらの環境をうまく利用して、人と共存してきた動物と言える。

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5.生息地の景観 広島県北広島町志路原

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6.産卵のための遡上を阻む堰堤

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7.角度70度の堰堤を登るオオサンショウウオ この後落下

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8.遡上を阻まれ、もがいて穴があいた肢の裏

一日のくらし
 オオサンショウウオは基本的に夜行性である。日没から30 分後には、巣穴を出て川の中へと現れる。川底に四肢を踏ん張り、じっと餌を待ち伏せする。口の横を魚が通り過ぎる時、突然口を開け、水とともに魚を捕えて飲み込む。その俊敏な動きは、普段ののっそりとした動きとは全く違っている。食性調査をすると、時にはノネズミ、モグラ、ヘビなどの陸生動物が食べられていることがある9),10)。水面を渡るときに捕食されたもので、オオサンショウウオは動くものは何でも食べる。しかし、ヒトはメニューには入っていない。オオサンショウウオが近寄ってきても、じっとしていれば決して噛みつくことはない。オオサンショウウオに噛まれるのは、捕まえていじめている時と、子育て中の巣穴に手を入れた時だけである。夜通し狩りをしたオオサンショウウオは夜明け前には巣に帰る。一晩に一匹の魚にありつけたらいい方で、省エネ型の細々とした暮らしである11),12)。

冬も活動
 意外なのは冬のオオサンショウウオである。変温動物であるカエルやイモリが冬眠するのに、同じ両生類であるオオサンショウウオは冬眠しないことが分かってきた。オオサンショウウオは冬でも餌を食べるし、夜の川で活動している。もっとも凍りつくような寒い日は、深みや落ち葉だまりに潜り込み、身を縮めてじっとしている。ある時、こちこちになったオオサンショウウオを捕まえて計測のために雪の上に置くと、次第に動き始め、数分後にはその力強い動きを止めることができなかった。

生息巣穴と産卵巣穴
 一般に、両生類は巣穴に定住することがない生きものであるが、オオサンショウウオは例外である。普段から川岸の石垣の穴や川土手の草木の根元にできる穴に住み着き、緩やかな定住性をもっている。普段住み着き過ごす穴を安佐動物公園では生息巣穴と呼んでいる。基本的に1 頭ずつ単独で生息しているが、生息巣穴の周りにその個体のなわばりがあるという報告はなく、時には、特に冬季には同じ巣穴で複数の個体が一緒に住んでいることがある。生息巣穴は、身を隠すことさえできればよく、他に特別な条件はない。
 一方、産卵巣穴は、繁殖のためだけに使われる特別な巣穴で、ここで、産卵、孵化、初期幼生の生育が行われる。産卵巣穴の形状は特殊で、水深20 ㎝くらいの浅瀬の川岸にあることが多く、入口が一つで小さく、1mくらいの長さのトンネルが続き、その奥が広間になっていて、奥からわずかな湧水が浸み出している。岩穴のこともあるが、土穴の方が多い。

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9.産卵巣穴の模式図

 産卵巣穴は、地域に固有の特別な巣穴で、毎年、その付近に住むオオサンショウウオが産卵のために集まってくる。この集まってくる行動を産卵期移動と言い、8 月中下旬に、数百mの下流から上流の産卵場へと移動するのが一般的である。昭和初期の大両生類学者である田子勝弥が産卵期移動について述べている13)が、だれも学術的に確認したものがなく、安佐動物公園が北広島町志路原の大口川で1985 年8 月に調査し、1 日平均50mもの遡上を報告したのが最初である14)。その後、上田15)や田口16)が産卵期移動を報告している。

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10.産卵巣穴のヌシ、全長87㎝の雄(松歳川ヒミツのイヤ)

不思議な繁殖行動
 産卵巣穴には、特別大きな雄が住み着き、巣穴を守ることが知られており、安佐動物公園は、これを「ヌシ」と呼んでいる。ヌシは7 月下旬から8 月上旬に産卵巣穴に現れ、巣穴を占有し始める。8 月下旬になると十数頭からなる繁殖群が巣穴の周りに集合し、9 月1 日を中心とした1 週間で産卵する。1986 年、安佐動物公園は志路原の松歳川の産卵巣穴「ヒミツのイヤ」で連続観察を行い、ヌシが占有しているにもかかわらず、産卵時にメスの他に複数の雄が巣穴に出入りするのを観察し、オオサンショウウオの産卵が群れ産卵であることを報告した17)。しかし、この説は、「遺伝子は利己的である」という生物学の大原則と矛盾するため、当初は受け入れられなかったが、現在は、オオサンショウウオは群れで産卵する動物であるという認識が一般的になってきている。

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11.ヒミツのイヤに入る雌

 著者らは、ヌシが産卵巣穴を占有しているのに、産卵の時だけ他の雄が入巣できるという不思議な現象を解明するために、2005 年に、松歳川の人工巣穴において産卵行動を連続撮影し解析した18)。予測通り、ヌシは産卵雌の後を追い侵入してくる雄に対して攻撃することはなく、ヌシと雌とその他の雄たちが一体となって回りながら産卵するのを確認することができた。また、産卵した雌が出ていくと、ヌシの攻撃性が徐々に復活し、最後には激しい追い出し行動となることも観察した。これらのことから、産卵雌は、ヌシの攻撃性を抑制する化学物質を放出しながら入巣すると考察した19)。

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12.産卵終了後に巣穴から出てくる雄たち

ヌシの子育て
 産卵が終わると、雌も雄も出て行き、産卵巣穴にはヌシのみが残って、10 月下旬に幼生が孵化するまで、ヌシは卵塊を保護する。巣穴に侵入しようとする者は何であれ、ヌシは反射的に噛みつき撃退する。また、ヌシは入口を見張りながらも、絶えず尾で卵塊を揺らし、かき混ぜている18)。人工的に卵を孵化させると孵化率は30%くらいだが、ヌシが守った卵塊はそのほとんどが孵化に至る。よって、ヌシは卵塊を育てていると考えられ、外敵から幼生を守り、子育てをしていると言える。
 幼生は孵化した後も産卵巣穴に留まり、腹部に蓄えた卵黄を消化しながら成長し、5 ㎝程になった2 月初めに川の中へと離散する。子育ての役目を終えたヌシは、幼生の離散後に巣を離れ、自らの生息巣穴に帰る。2月下旬から7月までの間は、産卵巣穴は空っぽになるのが一般的である。

幼生・幼体をめぐる謎
 幼生は、水流に乗って離散し、一旦は下流に分布するが、その後幼生がどこでどんな暮らしをしているのかは、よく分かっていない。断片的な知見からではあるが、取水堰から引かれた水路に流れ込み、自然の土手でできた水路の水際が山斜面の方向に掘れ込んだ隙間に隠れて住んでいるように思う。たぶん、そこは山からの地下水が染み出る構造になっている。幼生は、飼育下の記録では、3~5 年で20 ㎝前後になり、鰓がなくなり変態する20)。しかし、年齢の査定方法が見つかっていないため、野生下での変態の年齢は分かっていない。

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13.用水路で見つかった1歳~5歳位の幼生と幼体(志路原)

 オオサンショウウオは、体の外見からは進化を止めて生きてきた「生きた化石」とされるが、行動学的には、両生類とは思えないほど高度な繁殖方法を身につけている。冬の間も休むことなく子育てを行い、幼生が元気に真冬の川に散っていくオオサンショウウオは、知れば知るほど進化した生きものに見えてならない。


分布状況

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14.オオサンショウウオの分布図

生息地・生息域
 最近、オオサンショウウオ発見時の対応や河川工事時の行政的対応上、生息地の定義の必要性に迫られる場面が多くなっている。一般的に、オオサンショウウオの生息域は河川の「上流の下部域から中流の上部域」であるが、連続的に下流部にまで個体が発見されることが多い。それは生息域から流出した個体が、堰堤やダムなどの障害により生息地に戻れず、徐々に下流へと流された結果と考えられ、正常な生息ではない。では、生息地を定義するとしたら、何が基準になるのであろうか。個体群としてオオサンショウウオ成体が見られることと繁殖活動が認められることである。両方を確認できる水域を確定生息地としよう。また、個体群のみが見られて繁殖活動が確認されていない河川域は未確定生息地としよう。未確定生息地は繁殖が確認されれば確定生息地となる。確定生息地と未確定生息地を合わせたものを生息地と定義して保護しよう。個体が単体で見つかるが群れとして確認できない河川域は生息地とは呼ばずに個体確認水域としてはどうであろうか。オオサンショウウオは単体であってもその個体が特別天然記念物である。従前は、現状を変更せず、を原則としてきたが、個体確認水域で発見された個体は直上流の未確定生息地への移動措置を取るのが良策と考える。これは試案であるが、オオサンショウウオの保護行政は、生息地の定義の必要性に迫られている。
 次に、河川上流部の生息について言及しよう。オオサンショウウオは、川の上流部の渓流水域にも生息するが、個体数が少なく、しかも小さい個体が多い。オオサンショウウオの生息の中心部分は、もう少し下流の盆地の中を流れる川である。川幅が5m から10m ほどの本流筋を日常の住家とし、そこに流れ込む支流を繁殖の場として、年間の移動を繰り返している。オオサンショウウオは、これまで渓流に生息するとされてきたが、中国地方の生息地を見ると、むしろ里にすむ生きものである。渓流が山から出て少し流れが緩やかになるあたり、言い換えると、谷の一番奥の田畑がある地点から生息数が増え、産卵巣穴もこの水域に多い。
 本州での分布の西の端、山口県は面白い。山口県はオオサンショウウオがいないと思われていたが、最近、高川学園高校の教師と生徒たちの活躍により、錦川水系の宇佐川で大きな群れが確認された21)。しかし、錦川より西では、ごく稀に個体が発見されることがあるが、生息地は確認されていない。山口県の西部域から北九州にかけては、大分県の生息地へと繋がる空白地帯となっている。
 九州の生息地、大分県宇佐市の駅館川(やっかんがわ)上流の岡川に、100 頭規模のやや小さめのオオサンショウウオが住んでいる。分布の西限として国の天然記念物の地域指定を受けている。九州での生息地はここのみで、渓流環境で、謎の多い分布である22)。

不思議な分布
 オオサンショウウオは不思議な分布をしている。西日本のみに生息し、東日本にはいない。オオサンショウウオの分布は、日本列島の成り立ちを反映している。東日本にいないのは、東日本のプレートが西日本と異なっているか、東日本が水没の歴史をもつかに起因していると思われる。前者はプレートテクトニクスに基づく考え方であり、一般的な解釈は後者であるが、私は前者の説に魅力を感じている。オオサンショウウオを乗せたプレートとオオサンショウウオがいないプレートがぶつかり日本アルプスができたと。
 オオサンショウウオは中国山地の山間部の清流を中心に分布していて、東限は岐阜県の飛騨川上流域、西限は大分県の宇佐市岡川までである。中国山地の分布の中心は、兵庫県、岡山県、島根県で、鳥取県と広島県にも多く生息している。主な生息河川は、市川(兵庫県)、旭川(岡山県)、高梁川(岡山県・広島県)、日野川(鳥取県)、江の川(島根県・広島県)、太田川(広島県)などで、日本海側に流れる川にも、瀬戸内側に流れる川にも生息している。
 四国はこれまでに吉野川や仁淀川などで20 例を超えるオオサンショウウオが見つかっている23)が、生息密度が希薄で、生息地としての確認ができない。唯一、2005 年に、高知県立のいち動物公園が行った高知県越知町の仁淀川水系坂折川における調査で、幼体1 頭を含む2 頭が発見されており、生息地として認定される可能性がある24)。愛媛県から100 万年前の現生種の化石が出土しており25)、1~2 万年前には瀬戸内海は陸域で中国地方とは水系がつながっていたと思われることから、私は限りなく消滅に近い生息地と考えている。
 東限の分布をみると、岐阜県郡上市を中心に長良川の上流、飛騨川の本流、支流に広く分布している26)。ここの集団は、黒い斑紋がたくさんある黒っぽい体色をしており、他の地域のオオサンショウウオとは違う感じがする。京都の若狭湾から愛知の伊勢湾に抜ける大きな地溝帯があるので、それにより分断された可能性を秘めている。また、最近、愛知県瀬戸市の庄内川水系蛇ヶ洞川で53 個体以上の集団が発見され、分布の東南限となっている27)。
 近畿地方にも淀川水系を中心に、オオサンショウウオが生息する。大阪府では北部の能勢の猪名川に、京都府では桂川や鴨川に分布し、三重県では淀川水系木津川上流の名張川や伊賀川の流域が一大生息地となっている28)。
 一方、生息地かと思われた福井県では自然分布の生息が確認されず、また、生息地とされてきた和歌山県の紀ノ川でも最近は生息が確認できない。

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15.広島県内のオオサンショウウオの分布

広島県内の生息状況
 オオサンショウウオの生息分布から見れば、広島県は分布の西の端に近い。県北部の河川に広く分布し、また、瀬戸内に面した中小河川においても、時折、個体が見つかる。しかし、瀬戸内に注ぐ八幡川、瀬野川、二河川、黒瀬川、賀茂川、芦田川からは、現在、生息地は見つかっておらず、これらの川は、ほぼ消滅してしまった生息地なのかもしれない。
 オオサンショウウオが生息している県内の主要な河川は、次のとおりである。
江の川水系:江の川・神野瀬川・比和川・西城川・馬洗川・上下川・美波羅川・可愛川
太田川水系:太田川・三篠川・根の谷川・鈴張川・吉山川・小河内川・西宗川・水内川・丁川
小瀬川水系:小瀬川・玖島川
高梁川水系:帝釈川・東城川・小田川・
沼田川水系:椋梨川

東広島市豊栄のオオサンショウウオ
生息地発見の経緯
 東広島市から福山市に至る広島県東南地域においては、黒瀬川や沼田川や芦田川において単発的な発見情報が寄せられていたが、オオサンショウウオの生息地の確認はできていなかった。その中にあって、東広島市豊栄町では、住民の間においては沼田川水系椋梨川上流部にオオサンショウウオが生息していることはよく知られており、高松哲男氏ら豊栄の自然を守る会による生息調査や生息地を知らせる看板の設置などの活動が継続されていた。2005 年の豊栄町と東広島市の合併を機に、東広島市自然研究会(土岡健太会長)が豊栄の自然を守る会に共同調査を申し入れ、広島大学総合博物館、東広島市教育委員会、安佐動物公園の協力を得て2011 年から学術的な調査活動を開始した。その結果2011 年に実施された4 回の調査により、沼田川水系豊栄町の椋梨川上流部で11頭のオオサンショウウオの生息が確認され、正式に生息地としての確認に至った。その後2012 年には上流部の向谷地区で産卵巣穴と幼生が発見されており、確定生息地である。

豊栄生息地の特徴
 当生息地の河川環境は、コンクリート護岸率が高く、多数の堰堤による河川の分断化が進み、また河床に泥の堆積が見られるなど、オオサンショウウオの生息環境としては良い状態ではない。また、上流部の向谷では、当歳幼生が多く発見されてはいるが、その下流の調査区では幼生、幼体、亜成体が見られず、個体群も全長の大きいものが多く、老齢化が進んでいる。 椋梨川中流部の豊栄町乃美や安宿地域では現在も個体の生息が確認できるが、沼田川水系の福富町や高屋町や河内町の川では、過去に生息していたとの情報があるが、現在は確かな生息情報はない。また、隣接する東広島市内の黒瀬川水系においても同様であり、豊栄のオオサンショウウオは、東広島市地域で消滅していったオオサンショウウオの最後に残った個体群と言える。豊栄地域に生息するオオサンショウウオ個体群の研究は、オオサンショウウオの消滅の原因に関する知見をもたらすことが期待され、また、これから取り組む生息地の回復の実践は全国の里山地域のオオサンショウウオの保全モデルになるであろう29)。
豊栄生息地の個体群調査の詳細については後章に譲る。


保全の考え方
知ることと譲ること
 オオサンショウウオは里山で人と共存してきた生きものであり、これからも共存していくべき生きものである。現在オオサンショウウオが減少、消滅している原因を知ることにより、原因を取り除き修復にあたることにより保全が進む。まずは、調査により現状を把握することから始めよう。減少の原因や修復の方法を「知ること」が重要である。
 次に必要なのは、「譲ること」である。すべての生きものは、人間と利害が対立することが多い。そのような時に、すべて人間の都合の良いようにすれば、多くの生きものは消滅するし、少し譲ると共存できることも多い。
広島市安佐動物公園は、40 年間にわたるオオサンショウウオの保全研究を通じて、「共存の道は、知ることと譲ること」という言葉を見つけ出した30)。

アンブレラ効果
 生態的に上位にある種を保全することによって、生態的に下位にある種も保全されることをアンブレラ(傘)効果という。安佐動物公園は、広島県の絶滅危惧種ダルマガエルの域内域外保全に取り組んでいる。飼育下で繁殖させたオタマジャクシを世羅町の水田に放し、地域の人と共に定着を見守っている。2005 年から放流を始めて、2008 年に放したカエルが繁殖をはじめ、2012 年には放流田のダルマガエルが1500 匹を超えた31)。この事業のリーダーである地域住民の井藤文男氏は、「ダルマガエルを保護したら、トノサマガエルやらコオイムシやらトンボが多くなって、農薬がなくてもイネが育つようになった」と言っている。ダルマガエルを保護することにより環境が良くなって、他の生きものも豊かになったというのである。なんという示唆に富んだ言葉であろうか。同様に、オオサンショウウオを保護することによって、共に暮らす生物も豊かにしたいものである。

域内保全と域外保全の連携
 自然保全活動には、生息地の現地で行う域内保全と生息地を離れた場所で行う域外保全がある。生息地の調査や観察会、生息地の復元は域内保全であり、大学内での研究や動物園での飼育下繁殖の取り組みは域外保全である。両者は実践と適用により常にかかわり合いながら進めていくことが重要で、調査で分かったことを飼育下繁殖に活かし、研究室で分かったことを生息地での保全に活かすなどの相互作用が必要である。また、専門家は地域住民と協働して初めて本物の保全を進めることができる。安佐動物公園が北広島町志路原で進めている人工巣穴を使ったオオサンショウウオの保全事業は、域内保全と域外保全の連携のモデルである32),33)。



保全の手法
飼育下繁殖技術の確立
 広島市安佐動物公園におけるオオサンショウウオの飼育下繁殖の成功は、保全上重要な意味をもっている。もし、生息地の川において回復が不可能なレベルにまで生息数が減った場合、飼育下で増殖させた個体を川に放して、繁殖個体群を維持・補強する方法が有効である。安佐動物公園では、1979 年に飼育下繁殖に成功して以来、今日までほぼ毎年、オオサンショウウオの繁殖が続いており、繁殖条件の把握に努めている34),~39)。必要があればいつでも、その地のオオサンショウウオを繁殖させて、野生復帰あるいは野生導入ができるように、繁殖技術の確立に取り組んでいる。野生への繁殖個体の導入は、必要性があるときにのみ、慎重、公開のもとに行わなければならない。

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16.広島市安佐動物公園のオオサンショウウオ保護増殖施設(2012年)

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17.安佐動物公園で飼育下繁殖に成功(1979年9月28日)

人工巣穴
 安佐動物公園が開発したオオサンショウウオの人工巣穴は、自然の産卵巣穴の研究から生まれた。直径15 ㎝、長さ70 ㎝の塩ビ管と直径60 ㎝、高さ1mのコンクリート円筒を組み合わせたもので、入口が一つでトンネルが続き、その奥に広間がある自然の産卵巣穴を模式化している。この人工巣穴は川岸に埋設して設置するが、ポイントは円筒の底を作らず、底から伏流水が染み出ることである。1985 年の北広島町志路原の松歳川の改修にあたって、日本で最初の人工巣穴が設置され40),41)、その年から繁殖に成功して以来今日まで27 年間、この人工巣穴を利用してオオサンショウウオの繁殖が続いている42)43)44),45) 。

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18.人工巣穴の断面図(1985年設置 志路原松歳川)

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19.人工巣穴で子育て中のヌシ(松歳川人工巣穴)

 志路原での成功を機にして、全国で人工巣穴が作られたが、成功しているところは少ない。管理されないと入口が埋まり使えなくなるからである。志路原でも、1997 年ころから川の流砂が多くなり、産卵はしても入口が埋もれて育たなくなった。その時に、安佐動物公園は住民に協力を求め、土砂除去の協働作業が始まった。
これにより人工巣穴は復活し、2012 年現在まで、毎年の繁殖が続いている44)。これを契機に、志路原・上石地区では、2004 年に「三ちゃんす村」が組織され、普及啓発イベントや堰堤の改良を提案するなど地域住民によるオオサンショウウオの保護活動が行われている32),33)46)。

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20.人工巣穴の掘り起し作業(「三ちゃんす村」と安佐動物公園職員)

堰堤の改修
 産卵期移動を阻害している堰堤の改修は、改修の機会をとらえて積極的に取り組むべきである。オオサンショウウオの登坂能力は、堰堤壁面の角度が45 度以下であれば充分である。よって既存の堰堤にスロープを付けて改善するだけでも有効である。階段状の堰堤にする場合は、高さ40 ㎝以下の階段が良い。河川のコンクリート化による穴がない川岸と移動ができない段差が生きものの減少を招いている。これらの障害を取り除き、自然を回復させることが必要である。

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21.遡上スロープを設置した堰堤
(広島県安芸高田市田草川 写真提供同市)

保全教育
 オオサンショウウオの保護活動は生きた環境教育として最適である。北広島町志路原の双葉保育園では、2012年から「サンちゃんがすむ川の保育園」事業に着手した46)。38 年間にわたる安佐動物公園との連携の中で生まれたオオサンショウウオとその生息河川をテーマにした環境教育である。地元の豊平東小学校や広島県立国泰寺高校でも、オオサンショウウオの研究をテーマにした教育により全国的あるいは世界的なレベルの成果を上げている46)。

日本オオサンショウウオの会
 オオサンショウウオの保全には、関係者間の情報交換が重要である。そのことを目的に「オオサンショウウオの会」が2004 年に設立されて48)、全国の生息地で、オオサンショウウオの保護活動が活発になってきた。本会は現在「日本オオサンショウウオの会」となり、研究者、愛護活動者、保全団体、調査関連企業、行政など11 団体と個人からなる約300 名がオオサンショウウオの保全を目的として活動している28),44)。広島県とその近辺には、安佐動物公園、北広島町の「三ちゃんす村」、島根県邑南町の「瑞穂ハンザケ自然館」の他に、島根県奥出雲町の「加食オオサンショウウオの会」、岡山県真庭市の「岡山オオサンショウウオの会」、岩国市錦町の「錦川オオサンショウウオの会」、東広島市では「東広島オオサンショウウオの会」が次々と設立され、オオサンショウウオを「町の宝」として保護するところが増えている。

画像の説明
22.第9回日本オオサンショウウオの会山口県岩国市錦町大会(2012年)

保全上の課題
 オオサンショウウオ保全の取り組みは、全国に拡がりを見せてはいるが、現在、種の存続に関わるいくつかの問題に直面している。その一つが、京都市の鴨川(賀茂川)でおきているチュウゴクオオサンショウウオとの交雑問題である。40 年ほど前にある業者が食用としてチュウゴクオオサンショウウオを輸入したことに端を発し、売れ残った個体が鴨川に逸出したと言われる。在来のオオサンショウウオを駆逐あるいは交雑して、現在は鴨川にすむオオサンショウウオの90数%が遺伝子的にチュウゴクオオサンショウウオに置き換わっているというのである。日本のオオサンショウウオは、茶色の地に黒い斑紋をもつが、チュウゴクオオサンショウウオは黒っぽい地に白や赤茶色の斑紋をもち、性質も荒く、専門家の目から見ると全く違う種である。鴨川の交雑個体がさらに人間の手で他の水系に持ち込まれ、固有種である日本のオオサンショウウオが駆逐されてしまうことを現実のこととして懸念している。
 生息地では、近年とみに生息数の減少が目立つ。保護活動がある志路原地区においてさえ、ここ10 年の間でも、松歳川の人工巣穴の産卵数が減っているし、調査で見つかる個体数も減少している。極端な出水により巣穴が流失したり、幼生の離散時期が早くなってきており、これらは異常気象や温暖化現象の一端として注目している。また、島根県邑南町の瑞穂ハンザケ自然館が主催する上田所の観察会でも、堰堤の下に見つかる個体の中に極度に痩せているものがいる。堰堤下への個体の集中と餌となる魚の減少に起因する変化と思われる。今、オオサンショウウオの調査を通して見える小さな変化に気付き、対処していくことが大切である。

大きな発信力
 オオサンショウウオの保全活動は、全国あるいは世界からも注目されていて、大きな発信力を持っている。広島県北広島町志路原は、安佐動物公園の調査地として38 年の歴史をもち、住民が協働して保全を進めている地域として、2004 年のNHK「地球不思議大自然」の撮影地になって以来、BBC 英国放送協会やドイツ放送の自然番組の撮影地となり、世界に知られる地域となっている。オオサンショウウオは世界人類の遺産であり、謎に包まれた深い魅力と大きな発信力をもつ生きものである。人間の活動がもたらす50 年後の地球の姿をイメージしながら、オオサンショウウオの保全を地球環境の保全へと繋げていこう。

東広島の自然(2013.3)No.44 掲載

参考文献
本説の根拠とする文献・資料を簡略な文献表に挙げる。
1) 岩間春夫 1973 大山椒魚の研究史 In日本ハンザキ集覧 津山科学教育博物館
2) 桑原一司 2011 日本一大きいオオサンショウウオがいた In広島県謎解き散歩 新人物文庫
3) 小原二郎 1985 大山椒魚 どうぶつ社
4) 栃本武良 1995 オオサンショウウオ In日本の希少な野生水生生物に関する基礎資料Ⅱ
日本水産資源保護協会
5) チューリッヒ考古学博物館 Andrias scheuchzer レプリカ添付資料 安佐動物公園所蔵
6) 生駒義博 1973 日本ハンザキ雑記 In日本ハンザキ集覧 津山科学教育博物館
7) 川上 靖他 2005 世界最大級のオオサンショウウオの標本 鳥取県立博物館研究報告42
8) 足利和英 1999 オオサンショウウオ・新施設での繁殖 すづくり28巻2号 広島市安佐動物公園
9) 船戸美々 2000 広島県小見谷川に棲息しているオオサンショウウオの食性 麻布大学 卒業論文
10) 内藤順一 2002 オオサンショウウオの食性(2)、(3) 比婆科学206
11) 日本動物園水族館協会 1978 稀少動物の保護増殖に関する調査研究報告書
オオサンショウウオに関する調査資料 日動水
12) 岩国市教育委員会 2013 緊急保護個体飼育記録 岩国市
13) 田子勝弥 1931 いもりと山椒魚 In日本ハンザキ集覧 津山科学教育博物館
14) 若林文典他 1976 広島県のオオサンショウウオの保護に関する調査研究 その3
産卵期移住と小堰堤の関係について 動物園水族館雑誌 18-2
15) 上田弘隆 1988 オオサンショウウオの繁殖生態 大阪市立大学卒業論文
16) 田口勇輝 2006 オオサンショウウオの繁殖移動と堰堤による移動の阻害 大阪府立大学卒業論文
17) 桑原一司他 1980 広島県のオオサンショウウオの保護に関する調査研究 その4
18) 桑原一司他 2009 オオサンショウウオAndrias japonicas の繁殖行動の解析・産卵行動の観察記録と動画資料の解説 高原の自然史14
19) 桑原一司 2007 オオサンショウウオの繁殖行動の解析 広島大学大学院博士論文
20) 栃本武良 1993 兵庫県市川水系におけるオオサンショウウオの生態Ⅵ 変態について
動物園水族館雑誌 34-2・3
21) 村田 満 山口県錦川におけるオオサンショウウオAndrias japonicas の生態 武田科学振興財団
22) 院内町教育委員会 1994 天然記念物オオサンショウウオ生息地保存対策調査報告書 大分県院内町
23) 曽川和郎 1977 四国地方で発見捕獲されたオオサンショウウオについて
徳島県立川島高等学校研究紀要第1号
24) 高知県立のいち動物公園 2005 高知県においてオオサンショウウオの自然繁殖の可能性高まる
高知県立のいち動物公園広報
25) 鹿間時夫・長谷川善和 1962 日本の化石ハンザキ 日本古生物学会報45 In日本ハンザキ集覧
26) 岐阜県立郡上高等学校生物部 2005 ハザコ 岐阜県立郡上高等学校生物部
27) 瀬戸市 2009 愛知県瀬戸市特別天然記念物オオサンショウウオ生息調査報告書 瀬戸市
28) 三重県教育委員会・奈良県教育委員会 2012 特別天然記念物オオサンショウウオ保護管理指針2012
三重県教育委員会・奈良県教育委員会
29) 山﨑大海 2013 東広島市豊栄町に生息する国の特別天然記念物オオサンショウウオの保全に向けた実践的研究 東広島市ホームページ
30) 桑原一司 2013 動物レクチャー「オオサンショウウオの話」 広島生物34
31) 広島市安佐動物公園 2010 ナゴヤダルマガエル 安佐動物公園調査記録集5
32) 桑原一司 2006 域外保全活動:オオサンショウウオ 畜産の研究60巻1号:69-73
33) 桑原一司他 2005 豊平町志路原・上石のオオサンショウウオの繁殖生態と保護の試み
高原の自然史10・11:101-133
34) 桑原一司 1979 オオサンショウウオの飼育下での繁殖 すづくり8-6 安佐動物公園
35) 足利和英 1980 オオサンショウウオの飼育下での産卵 おもに産卵行動の観察 すづくり9-6
安佐動物公園
36) 小原二郎 1980 広島県のオオサンショウウオの保護に関する調査研究・その5飼育下での産卵
動物園水族館雑誌22-3
37) 鈴木信義 1984 5年連続で繁殖したオオサンショウウオ すづくり13-1 安佐動物公園
38) 足利和英 1999 オオサンショウウオ・新施設での繁殖 すづくり28-2 安佐動物公園
39) Kuwabara et.al. 1989 Breeding the Japanese giant salamander Andrias japonicas at Asa Zoological Park Int. Zoo Yb. 28:22-31
40) 若林文典 1986 オオサンショウウオ・野外生息地での人工河川における産卵 すづくり15-1
安佐動物公園
41) 若林文典 1986 河川改修後の人工巣穴におけるオオサンショウウオの産卵 安佐動物公園飼育記録集16
42) 南方延宣 1996 オオサンショウウオ・その後の松歳川 すづくり25-1 安佐動物公園
43) 鈴木信義他 2000 移動式産卵用人工巣穴におけるオオサンショウウオの繁殖 動物園水族館雑誌41-3
44) 桑原一司 2012 オオサンショウウオ保全の現状と課題 広島県文化財ニュース213号
広島県文化財協会
45) 桑原一司 2004 オオサンショウウオの人工巣穴と動物園の地域活動 すづくり33-2 安佐動物公園
46) 双葉保育園 2013 ふたば交流館だより20号記念誌 双葉保育園
47) 広島県立広島国泰寺高等学校理数ゼミ生物班 2008 スーパーサイエンスハイスクール
オオサンショウウオを守る遺伝子研究 広島県立広島国泰寺高等学校
48) 栃本武良 2005 オオサンショウウオの会の設立 兵庫陸水生物56・57

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