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ブログ/2013-12-10

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毛利隆元

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写真1 『三矢の訓跡碑』吉田・郡山城の麓にて

ミーアキャットです。
 『三矢の訓(さんしのおしえ )』で有名な毛利元就(1497~1571)には,長男・毛利隆元,次男・吉川元春,三男・小早川隆景の三兄弟がいましたが,今年は,毛利隆元(1523~1563)没後450年の節目の年に当たります。

 毛利隆元は,大永三年(1523)に,元就の父の居城であった猿掛城で生まれました。幼名は少輔太郎(しょうのたろう)といいます。当時,毛利氏は,山陰の尼子氏に服属するか,山口の大内氏に服属するかでいろいろもめ事があったようですが,元就が毛利氏の家督を継いでからは大内氏に臣従することを決断しました。この一環として,少輔太郎は天文六年(1537)に,大内義隆の元に人質として送られます。この年,元服し,義隆より一字をもらい(偏諱),元就の元と合わせて『隆元』と名乗ることになります。
隆元が大内氏と過ごした山口は,当時戦乱で荒廃した京都よりも文化人が多く集まる所で,隆元はこの山口で過ごした4年間に,本格的な絵画を学ぶなど,当時の第一級の知識や教養を身につけたということです。その後,天文十年(1541)に毛利元就の居城である吉田・郡山城に帰還したようです。
 天文十五年(1546)~天文十六年(1547)頃,元就(50~51歳)は隆元(24~25歳)に家督を譲ります。この後,隆元は大内義隆の養女を夫人として迎え,長男幸鶴丸(後の毛利輝元)が生まれています。
 天文二十二~二十三年(1553~1554),大内義隆を倒した陶晴隆と断交することを決意,戦国大名として自立する決断をします。弘治元年(1555)には,厳島合戦で陶晴隆を破ります。
 弘治三年(1557)には,元就から14ヶ条の教訓状を受け取り,三子が連署して請書を返しています。(一例:『三人の間柄が少しでも分け隔てあったら,三人ともに滅亡すると思え』『仰せ,しかと承りました』) 
 この後,元就・吉川元春・小早川隆景とともに,『毛利両川体制』を構築し,中国地方一円に勢力を伸ばします。永禄四年(1561)には,小早川隆景に招かれて,元就とともに新高山城に滞在し,能や連歌を楽しんだということです。

 当時,石見銀山の争奪をめぐって,毛利氏と尼子氏は死闘を繰り返していましたが,元就が出雲攻略に乗り出し,月山富田城へ軍を進めていた折の永禄六年(1563),毛利隆元は尼子との決戦で出雲へ出陣の途中,佐々部(現安芸高田市高宮町佐々部)の蓮華寺(れんげじ)に立ち寄ります。ここで,毛利傘下の備後の国人領主・和智誠春(わちさねはる)の饗応を受けました。ところが,直後に発病し,翌未明に急逝しました(享年41歳)。写真2~5が,隆元逝去の地とされているところで,通称”灰塚”と言われる石碑が建っています。蓮華寺の場所も現在は不明ですが,この逝去の地とされている付近にあったのではとないかと考えられるそうです。

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写真2 毛利隆元逝去の地(安芸高田市高宮町佐々部)

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写真3 同上

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写真4 同上

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写真5 灰塚

 隆元の急死には,食中毒という見方と,出陣前日という時期であったことから毒殺されたのではないかとの見方があるようです。すぐにこの地で火葬に付されたという話が伝わることで,毒殺も疑われる状況にあったものと思われます。
 嘆き悲しんだ毛利元就は,和智誠春を厳島島内に監禁し,永禄十二年(1569),隙を見て厳島神社の社殿に逃げ込んだ和智誠春を社頭において誅殺します。(ただし,元就が和智誠春を監禁したのが,隆元急死の直後でなく,かなり後のため,和知誅伐には別の理由を考えるのが妥当とする見方もあるようです)

 毛利氏発展の途上で若くして亡くなった毛利隆元の墓は,郡山城の一角にあった隆元の菩提寺・常栄寺の中にあったと思われますが,後の毛利氏の防長移封に伴い常栄寺も山口に移転し,この頃より不明となりました。幕末の文久二年(1862)に,隆元の300回忌に当たって,長州藩が郡山城一帯の現地調査を行い,それまで不明確であった隆元の墓所を現在の位置に定めました。郡山城の毛利元就や毛利一族の墓所から少し離れた,常栄寺跡にあります(写真6~10)。

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写真6 毛利隆元の墓所

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写真7 同上

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写真8 同上

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写真9 同上

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写真10 同上

(記事の作成に当たりまして,安芸高田市歴史民俗博物館の『没後450年記念特別展毛利隆元』の図録資料,毛利隆元没後450年記念シンポジウムの資料等を参考にさせていただきました)



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