ブログ/2014-07-06
サネモリさん
ミーアキャットです。
広島県山県郡北広島町には,『虫送り踊り』があります。北広島町の観光情報サイトにはつぎのように書いてあります。
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享保17年(1732)の大飢饉は,うんかによる被害が原因ともいわれており,先人たちは,このような害虫を追い払う呪法として藁人形のサネモリさんを作った。
源平合戦において,平家の武将斉藤別当実盛(さねもり)が水田の稲の切り株につまずき,あえなく最期を遂げる際,『我は害虫になって,水田にたたる』と言い残したとの言い伝えから,サネモリ人形をつくり,稲に付く害虫の御霊をこれに移し,村境で川に投じて追放することにより稲の病虫害を防ぎ,五穀豊穣を祈願する民俗行事を伝承するものであり,上川戸熊野神社での神事や腰に付けた小太鼓の音や笛,手打ち鉦の拍子にあわせてサネモリ人形を振りかざしての行列など素朴な踊りが展開される。
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この踊りは,毎年6月の第一日曜日に行われるそうですが,私が見たのは,毎年10月に行われる吉川元春館跡での『吉川戦国まつり』の時です。この時には,サネモリ人形を川に投下するのではなくて,神主さんから授けられた刀でサネモリ人形を退治するバージョンでした(写真8)。
ところで,『千代田町史の資料から,広島県千代田町,1997』という資料によりますと,享保17年(1732)の大飢饉の原因となったサネモリ虫についてつぎのように説明してあります(一部要約しています)。
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江戸時代も中頃,享保17年(1732)は大飢饉の年でした。その原因は稲毛虫(ウンカだろうと言われています)の大発生で,6月の草取りの頃から少しずつ姿を見せ始め,みるまに増え,その月の終わり頃にはヌカを振りかけたように,びっしりと付くようになりました。稲から落ちた虫が水の表面を覆い,用水の取水口は虫の死骸で詰まってしまいました。
7月に入ると稲が枯れ出し,町域の村々は壊滅状態で,ある村では人口のおよそ4割が亡くなっています。虫害は西日本でひどく,広島藩全体で32万人の饑餓人と8600人余りの餓死者を出すという大飢饉でした。
この虫は,頭に兜をかぶり体に鎧をまとった,大変たちの悪い虫で,何度も脱皮を繰り返して大きくなっていったと記録されています。別名『サネモリ虫』とも呼ばれて恐れられましたが,有効な駆除方法がないことが,こうまで被害を大きくした原因でした。現在でも初夏に『虫送り』の行事が行われている所もありますが,懸命に生きてきた先人達の『ねがい』が込められているのではないでしょうか。
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