ブログ/2014-08-04
加茂岩倉遺跡
ミーアキャットです。
島根県雲南市加茂町岩倉の『加茂岩倉遺跡』です。1996(平成8)年10月に,農道工事の際に銅鐸が39個偶然発見されました。大きい銅鐸の中に小さい銅鐸が納められた『入れ子』状態で出土したそうです(写真1)。1箇所からの出土としては日本最多です。
現地の説明板にはつぎのように書いてあります。
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1996年10月14日,農道工事の際,丘陵斜面より発見された銅鐸は,滋賀県大岩山遺跡の24個を上回る国内最多出土の39個が確認され,全国的な注目を集めた。
本遺跡の銅鐸群は,弥生時代中期(約2000年前)に鋳造・使用されたものと考えられるが,全長が約45㎝級と30㎝級の大小の群からなり,小型鐸を大型鐸に「入れ子」状にして埋納されていた。
同じ鋳型で作ったとされる「兄弟銅鐸」が全国各地に分布することや,トンボ,シカ,イノシシ(?),ウミガメ,人面などの絵画を持つ銅鐸が知られている。さらに吊り手の部分に「×」印の刻印を持つ銅鐸もあり,3.3km北西に位置する全国最多の銅剣などが出土した神庭荒神谷遺跡の銅剣群にも同様の刻印が施されているなど,弥生時代の出雲の社会を考える上で第一級の資料といえる。
町内の神原地区では古墳時代前期に「景初三年」(西暦239年,卑弥呼が中国に遣使したとされる)の銘文をもつ三角縁神獣鏡が副葬された神原神社古墳が築造されている点も注目される。
雲南市教育委員会
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写真4 大発見を伝える当時の新聞記事(1996.10.15)
銅鐸の表面にはシカ,トンボ,イノシシ,カメ,人の顔などの絵が描かれているものが7個,銅鐸の吊り手の部分に『×』印が刻印されたものが14個あるそうです。出土した銅鐸39個は,2008(平成20)年に国宝に指定され,島根県立古代出雲歴史博物館に収蔵されています。
発見当時の見学会の写真で,見学者の長蛇の列を見ますと,大発見に沸き立つ当時の状況を感じることができました(写真11)。
農道の工事が行われかけた現地には,出土した当時の状況が再現してあります(写真12~15)。
この再現場所から桟橋状の遊歩道を登っていくと,”加茂岩倉遺跡ガイダンス”という案内所・資料館があります。農道工事でV字状に切土された両側を繋ぐように橋状に造られているということです(写真16~17)。パンフレットには,「ガイダンスは,まさに,銅鐸が埋められた弥生時代と私たちが生きる現代を繋ぐ『架け橋』です。」と書いてありました。
ガイダンスの中には,銅鐸の写真・レプリカ・資料などがあります(写真18)。
この加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡との距離は3.3kmと近く(写真19),『×』印が刻印されている青銅器が両方に見つかっていることから,両遺跡は関係が深いものと考えられているようです。
写真19 荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の位置図
(現地の看板に加筆)
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