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入野川河床を下げる工事で出土した埋れ木について

行事報告

入野川河床を下げる工事で出土した埋れ木について

会員 井上泰秀

 昨年から郷地区にある扇迫橋(上)と貞政橋(下)との間の入野川の河川改修が行われている。川の拡幅と河床を下げる工事である。工事前に流れていた川の底は、橋却の最下部から3,5m下にあった。
川底からさらに約4m掘って工事をしたそうである。その時川底の地中から約3mの大きな木が出てきいるのが貞政橋の下に数個あった。直径60cm以上、長さ約3mの大木一本と1m前後の木片が5~6個である。
 川の氾濫を鎮めるための人工のものか、あるいは洪水で倒木し、流出し埋没したものかは分からないが、川底の地中にあったのだから、かなり時代はさかのぼることだろう。千年単位の年代で考えれば、川の位置は現在のものとはかなり異なっていたはずである。現河床堆積物の下に約1m旧河床堆積物の層があり、その下には腐食土堆積物、さらにその下に湖底堆積物で、「崖錐堆積物」はそのまた下にある地層だそうだ。
 とにかく人工的なものであっても洪水による倒木であったにしても、川の水の勢いと格闘し争った木であることは確かだ。ずっと埋もれていた老木が、河川工事で日の目を見たのだ。平成24年3月頃のことか。昔から沼地や湿地に悩み、あるいは川の排水や治水に苦しんだ高屋の人々の魂が、地中深く眠っていたこの老木に宿っているような気がしてならない。永い間地中深く押しつぶされながら眠っていたことを考えれば、人の一生など問題にならない時の積み重ねを経てきた木であることがわかる。既に朽ちてしまった荒々しい木肌の風合いは、見るものを立ち止まらせ、よく耐えてきたなと語りかけずにはおれない懐かしさを感じる。想像をはるかに超えた川からの贈り物に感謝しなければいけない。
 県の河川課に掛け合ってそれらを引き上げてもらった中島の貞国さんは、「この埋もれ木は、地中深くから長い高屋の歴史を見てきた貴重なものなので、中島の石打八幡神社に御神木として飾っておきたい」といわれる。県も快く引き受けてくれて、その大木を神社まで運んでくれた。現在石打神社の境内を安住の地と定めている。
この木が眠っていた地層は、果たしていつごろの時代のものなのか、何という種類の木であるのか、郷土史研究会と東広島自然研究会に所属されている重兼の堀越先生や広島大学の名誉教授であり東広島自然研究会の顧問でもある沖村先生(地学)に診断してもらわなければいけないと思っている。その結果はまた後ほどお伝えできるでしょう。
(2012・8・29井上記)

≪引き続き速報≫ 「埋れ木」は70万年前の木だった‼
 8月31日、堀越先生、沖村先生、自然研究会土岡会長をお呼びし、高屋の地形・地質を見て回り、例の「埋れ木」の診断をしてもらった。「これは西条層という地層の中の一番下にあたる所の堆積物中にあった木で、70万年前のものであることは間違いない」と沖村先生は断言された。枝の一部はすでに炭化した所もある。大木の大部分は「埋れ木の年代を過ぎていて、化石化作用(珪化木になる)を受けている」ものだそうだ。堀越先生は「この木肌から見ると杉の一種かもしれない」、土岡会長は「これは高屋の宝物だ」とそれぞれ良いものを見せてもらったと喜んでいただいた。1千年単位の話ではなかった。まさしく神様からの授かりものだった。大洪水か土石流により倒木し、何重にも堆積物が重なる。まさに人知を超えた木の魂が、高屋に埋もれていたのだ。今後高屋の宝として永久に保存することを考え、人間の愚かさのために瑕付(きずつ)けられることがあってはならない事を祈るばかりである。

(2012・8・31井上記)

埋もれ木.png

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