総領町のセツブンソウ見学ほか
総領町のセツブンソウ見学ほか
大繁 一味
行事ご案内文
企画の発端は、2007年2月24日(土)、セツブンソウ見たさに片道6時間半かけて、総領町のセツブンソウ自生地まで自転車にて遠征したのがきっかけとなりました。
コースは高屋町から河内~大和~世羅~吉舎~三良坂~総領のコースをとりました。帰りは375号線で東広島まで帰りました。
この時、世羅町では会社の工場長に、豊栄町では社員に目撃され、月曜日に会社に行くとその話題で騒然となっていました。昨年9月に、この件で広島県経済誌の取材を受けました。
また自転車で行くのが嫌で、今回企画として立ち上げましたが、計画当初はセツブンソウのみの観察会で他に見所がないとのことで、土岡さんから近くの地質、岩石の観察スポットの情報資料の提供を受け、植物と地質、岩石のコラボ観察会が実現しました。
計画日の2月24日(日)は天候不順とセツブンソウ開花の遅れで中止となりましたが、今日はセツブンソウの他、セリバオウレン、フクジュソウも見られるとのことで、延期した結果、ほかの早春の山野草も見られそうです。 今日は早春の一日を楽しくお過ごしください。
なお、企画から準備までお手伝いいただいた事務局および土岡さんありがとうございました。
総領町セツブンソウ見学他(植物、地質、岩石)について
道野 忠司
研究会に入会し早1年過ぎました。今回でイベント参加は4回目となり、最近は夫婦で楽しく参加させていただいております。
セツブンソウ観察会は約10年前に友達の誘いで参加したことがあります。透き通ったような清楚で可憐な花はとても印象的で、それゆえに機会があれば是非見たいと思っていました。
もう一つの目的として、聞き慣れない火道角礫の地質について興味を抱き、今回の参加を決めました。
この日の予定
東広島市役所集合⇒大和町道の駅『よがんす白竜』⇒世羅町大田庄歴史館⇒総領町下領家八幡さんでセツブンソウ自生地見学⇒リストアステーションで昼食後セツブンソウ見学⇒甲奴町須佐神社Pにて説明⇒府中市上下町矢野の火道角礫岩の見学⇒世羅町いかり山⇒東広島市役所にて解散。
当初の見学予定は2月24日でしたが、前夜からの大雪で3月9日に延期となりとても残念でした。
しかし、延期されたその日は偶然にも私の誕生日と重なり、とても良い思い出になりました。参加者は18名から16名になり、5台の車に分乗し一路総領町のセツブンソウを目指して出発しました。途中西高屋のセブンイレブンで平山さんと合流し、道の駅『よがんす白竜』で小休憩。ここからの椋梨ダムの湖畔に映える白竜の壁画が印象的でした。
私は森山先生の車に乗せて頂き、とても楽ちんでした。先週からの仕事疲れも気にならず、快適そのもので最初の見学地、大田庄歴史館に到着。
画像をクリックすると拡大します。
参道沿いにある桜並木は開花時期になると見事なものだと、想いをはせました。歴史館では、広島県の地に西の高野山があったとは思いもよらず、古の資料を拝見し、ずいぶん繁栄した歴史を持つ場所だと教えられました。
ここでもう一つの必見は、歴史館前の石垣を突き破ったように生えている樹齢約150年のイチョウの大木で、生命力に溢れています。木の横には文字形のロハを模った石がはめ込まれイロハ坂?なるほど!昔の人の愛嬌ですね。今一度、ゆっくりと各寺院を巡って見たいものです。
世羅町の沿道を進むと来待石に由来する石州瓦の赤い屋根が多く、次の上下町は黒瓦(黒釉・燻)に変わり、風土・土地柄による違いを感じました。
森山先生の快適なドライビングと、そつの無い土岡さんの引率により総領町下領家八幡神社に到着しました。何時しか空は晴れ渡り、絶好の観察日和となりました。歴史の重さを感じさせる木製の鳥居を潜り、左手の山裾の傍らにセツブンソウの群生が幾重にもありました。
その可憐で可愛いらしい姿を眺めているとお昼になり、近くのリストアステーションで皆さんと美味しく昼食を頂きました。食後、橋を渡り左手に折れフクジュソウの鮮やかな黄色を眺めながら進む途中、ミツマタとキクバオウレンが目にとまりした。若かりしころ、3月末の大万木山~琴引山縦走時に、雪の中で可憐に逞しく咲いていたオウレンを思い出しました。
そこから来た道を折り返してセツブンソウの群生を眺めながら、NPOの方からセツブンソウの一生について聞きました。
ここ総領町は南限地で北は関東にかけて、日当たりの良い石灰岩大地を好み、種で繁殖します。生育は1年目でハート形の葉がつき、2年目で芋ができ葉形は鋸歯状になる。3~4年目で花が咲きはじめ、10年で一生を終えるとのことでした。
大繁さんより、ピンク色のセツブンソウを見に行こうとの提案で、谷山勝登さん宅の東側に見に行きました。総領町には、三種類(真白・八重・ピンク)あり、満開のお花畑は見事そのもの!心を癒されます。是非一度訪れることをお勧めします。
総領町から25分の甲奴町須佐神社では、時間の都合により、土岡さんから神社の由来と太平洋戦争時、鐘の供出がご縁で、カーター大統領が来訪されたお話を聞きました。その後、火道角礫岩を目指して須佐神社と弐塔神社間の道路を通りながら参道奥にある古木を垣間見て、上下町矢野の山道に分け入りました。
火道角礫岩は広島県で大変珍しい地層とのことで、私はとても楽しみにしていました。火道角礫岩の露頭は道路右側廃道の崖にあり、森山先生が地層の成り立ちについて解り易く説明されました。
その南側斜面の様子は、約2億年前の二畳系舞鶴層群(砂岩泥岩の互層)を約800万年前に玄武岩質マグマが地下から地表に噴出した大変珍しい通り道(火道)が観察できます。特に崖下左から上部にかけて堆積した二畳系舞鶴層群(砂岩泥岩の互層)がマグマで捲り上がった特異な地層と、火道中の礫は玄武岩が主体で、砂岩、泥岩、花崗岩を含み一部玄武岩の発泡した様子が観察され、、世羅台地の成り立ちが伺えました。
再び世羅町に入ると空は暗くなり今にも雨が降り出しそうです。ここでは、いかり山の玄武岩に由来する柱状節理の観察です。森山先生から柱状節理の成り立ちについて説明を受けました。
上部は急冷されて層状に亀裂が入り、下部はゆっくり冷めるため縦状に亀裂が入ることにより、五角、六角の柱状節理が発達するメカニズムを知りました。
この岩陰には丸い大きな蜂巣が2つも掛かっていました。蜂はこの場所が安全な住処と知っており、その察知能力に感心しながら、車に乗り込むと突然雨が落ちてきました。見学中天気が崩れなかったことは幸いでした。このことは、熱心に下見調査をしてくださったスタッフの皆さんの熱意に神様が答えて下さったのではないかと感謝しました。
東広島市役所に帰り、見学会の締めくくりを末森さんからいただきました。沖村会長、企画と引率いただいた土岡さん、セツブンソウ見学発意者の大繁さん、地質、岩石について説明くださった森山先生、会計を6年間担当していただいた金原さん、そして車の提供と運転頂いた皆さん、ありがとうございました。
有意義で心に残る楽しい見学会に参加させていただいたことを心より感謝申し上げます。
東広島の自然(2008.12)No.40 掲載