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豊栄で水晶採集とオオサンショウウオを見よう

行事報告

豊栄で水晶採集とオオサンショウウオを見よう

平成24年8月19日(日)

参加者:23名

報 告  会員 道野 忠司

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 盛夏の青空のもと、福富町道の駅『湖畔の里』に9:00集合。ここから10分ちょっとで目的地近くの豊栄町安宿(あすか)地域センターに到着です。
現在は公民館になっていますが、元々は小学校だそうです。車数を減らすため、参加された方々を現地まで数台でピストン輸送しました。水晶山は地元の方の所有で、ご厚意で、以前珪石を採掘されていた場所を特別に開放して頂きました。私は、今回で2回目の参加となります。初回は、平成23年4月に造賀の鰐淵、どんどん淵とお花見の行事の時でした。
 その時に故谷山四方一先生(広島地学同好会、広島地学会創立、運営に尽力する)が、広島県随一と言われたこの珪石鉱山より採集された水晶が別府地区の親戚に保存されていました。そのお宅で簇生水晶などを見せて頂きました(現在は広大総合博物館で展示されており、必見の価値があります)。これほど林立した美結晶が身近にあることが奇跡と思い、それは素晴らしく、感動しました。それ以来、この水晶にあやかりたいという思いが沸々と湧いてきます。その折に小さいながら透明度の高い水晶を拾うことができました。
 思えば、水晶との出会いは小学1年生の頃です。本家の裏庭が真砂土の崖になっており、そこに細長く白い熱水脈跡に小指大の黒っぽい粘土鉱物状の小さなガマがありました。毎年冬場になると霜柱により少しずつ崩れて行き、黒っぽい粘土と一緒に数ミリの煙水晶が時折顔を覘かせており、それを拾うのがとても楽しみでした。
6年生の頃、母からもらった拳大花崗岩の晶洞中に、宝石の様な輝きを放つ透明で微細な結晶を見つけた時は宝物に思え、時々出しては眺めていました。
 中学生頃、安佐町飯室の幕内峠で、道路の傍らにある真砂土採掘場の熱水脈跡から煙水晶を見つけた時も大変な感動をしました。社会人になり、何時の頃か箱に入れて家の片隅にしまっていました。その後何度も探したのですが、その宝物は何処に行ったのかわからなくなり、とても残念でなりません。水晶は、博物館、鉱山跡などのお土産売り場などで買うことも可能ですが、額に汗して探した思い出があり、それなりの大きな自己満足がありました。

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 豊栄町安宿の水晶は、黒雲母花崗岩の大きな割れ目(小高い山の真ん中をやや東西方向に硅石鉱床がある)に珪酸を含んだ水が入り、小さな水晶が沢山出来た物が長い間に大きく成長したと聞きました。
 水晶探しは今回で2回目のトライとなります。思いのほか時間が早く過ぎ、気が付いた時には会長さんから帰る仕度をしてくださいと声を掛けられ、山を下りたのは最後尾でした。

 本来、参加された皆さんを駐車場に送らなければならなかったのですが時すでに遅しで、駐車場まで載せて頂いた次第です。皆様に大変ご迷惑をお掛けしたことをこの場を借りてお詫び申し上げます。
 前回は、ズリ捨て場の周りで落ち葉をかき分けてガラス状に光る水晶を探しましたが、皆さんがすでに幾度も見られており、思いのほか収穫は期待できませんでした。
 今回は、特別に持参した十把と鉄棒で採掘跡を更に30~40㎝掘り込みました。その中から拳大のズリ(黒雲母花崗岩)を拾い上げ、付着している赤土を擦り落として、ガラス状に輝くものを探しました。
 その中から小さな結晶が接合したものを見つけ、日本式双晶ではと大変喜びました。沖村先生に尋ねると「親子ですね」との鑑定にチョッピリ残念でしたが、まずまずの成果でした。

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採集した水晶

 次回、チャンスを頂ければ是非とも掘り当てたいものです。帰りには、掘った穴に人が落ちない様に埋め戻しました。気温は30℃近く、汗びっしょりでした。

 水晶について少し調べてみました。
石英(クォーツ)は、地殻中に含まれる元素の内50%を占める酸素(O₂)と25%の珪素が化合した二酸化珪素(SiO₂)が結晶して出来た鉱物で、六角柱状の自形結晶をなすことが多く、また、石英とは石の花と言う意味合いがあるそうです。
そのなかで、特に透明度の高いものを水晶と呼ぶそうで、昔は玻璃(はり)と呼び珍重していたそうです。
水晶(クォーツ)の名前の由来は、昔、ギリシア人が岩の間にある透明な鉱物を氷が石になったと考え、クリスタロス『氷』と呼んだことが水晶の語源の始まりと記されていました。
 
 お昼には、皆さんと木陰のあるどんどん淵に移動し、思い思いに弁当を広げてお話しながらおむすびをほおばりました。
 このどんどん淵の地層は、太平洋に堆積した泥がプレートの移動により日本列島に付加されたジュラ紀の付加体で、花崗岩の貫入により熱影響を受けていると教わりました。

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どんどん淵で説明される沖村先生

 この堆積岩の露頭には地学の現象が残されています。リップルマーク(漣痕:渚に堆積した砂と泥が繰返す波により浸食された波状模様)と共役断層(同じ圧力によって圧縮され生じた断層:X状の割れ跡)です。

5.png
共役断層

どんどん淵で一度見て頂ければ大変参考になります。
 
 午後からは、豊栄町清武地区のオオサンショウウオを見に行きました。高松さん宅に車を置き、そこから川の上流部で昨年出会った橋のたもとに行き何度も探しましたが、暑い日差しを避けていたのでしょうか姿が見当たりませんでした。次回のお楽しみです。

 この企画と準備をされた土岡会長、役員の方々、講師の沖村先生、水晶採取を快くお許しいただいた山の所有者の方、清武地区のオオサンショウウオを保護されている高松様へのお礼申し上げます。


東広島の自然(2013.3)No.44 掲載

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