ブログ/2013-10-28
石見銀山・大久保間歩
ミーアキャットです。
先日(9/28),石見銀山地質研究会による福石鉱床の勉強会と大久保間歩の限定ツアーに参加しました。
“福石鉱床の秘密にせまる”と題された講義は,石見銀山世界遺産センターで行われました。講師は島根大学O先生です(写真2~4)。
石見銀山の鉱床は,『福石鉱床』と『永久鉱床』に分かれています。講義資料よりその特徴を示す図を引用させていただきました(図1)。
①神屋寿禎が日本海から光る山を見つけたとの伝説で有名な仙ノ山が位置する『福石鉱床』は,デイサイト質火砕岩(仙ノ山火山噴出物)の活動に伴う浅熱水性の鉱染鉱床である。デイサイトの活動は約160万年前,銀鉱化作用は約140万年前との論文がある。大久保間歩や釜屋間歩はこの福石鉱床に属する。大久保間歩の岩石は鉱物の変質が顕著である。
②要害山が位置する『永久鉱床』は,デイサイト質の大江高山溶岩の割れ目に生じた熱水鉱床である。福石鉱床より深い場所に位置し,これを掘削しているのが龍源寺間歩である。鉱物の変質は少ない。デイサイトの活動は仙ノ山火砕岩と同一時期で,銀鉱化作用は福石鉱床より少し新しいという論文がある。
午後から講師の先生方と大久保間歩限定ツアーに行きました。本日は満員です(写真5)。
石見銀山世界遺産センターから大久保間歩まではバスで移動します。バスの中では,”石見銀山ガイドの会”の方の,石見銀山の地質的な形成に関する紙芝居があります(写真6)。
大久保間歩の駐車場に到着したら,準備小屋に向かいます(写真7)。ここで,長グツ・ヘルメット・懐中電灯を借りて,カメラ以外の荷物を預かってもらいます。坑内にリュックサックを持ち込むときには,背中に背負わず,胸側に着用するように指示されました。無意識的に背中のリュックサックで坑壁をこすって,傷付けることがないようにするためです。世界遺産ならではの厳しい規則です。私達は制限時間内で,できるだけ長く坑内の観察をするために,長グツ・ヘルメット・懐中電灯などは各自事前に用意していました。大久保間歩内の見学時間は,次班と競合しないように,通常30分と決められているようです。
大久保間歩は大久保長安が馬で入ったと言われていますが,坑口の高さは意外に低いように感じました。現在は鉄骨製の落石対策設備が設置してあるために,そのような印象を受けたのかも知れません(写真10)。
坑内には江戸時代のノミの跡が鮮明に残っています。ガイドの方の説明によりますと,写真12のように天盤に波打ったように残るノミの跡は,水滴が下がったときに斜めに見上げると,同心円状に,あたかも蜘蛛の巣が朝露を結んで光っているかのように化粧掘りされているのだと。これを“蜘蛛の巣間切(くものすけんぎり)”というそうです。江戸時代の職人は単に掘るだけではなく,坑壁をも美の対象とする・・・日本人らしい匠の技です。
以下,坑奥に向かって,水が少し溜まっている坑道を歩きながら撮った写真です(写真13~16)。
写真16 薄い黒色の鉱脈に紫外線を当ててみる(含まれる鉱物によっては特有の蛍光色を発することがあります)
大久保間歩を坑口から約140m入ったところに,非常に貴重な幅約30㎝の銀鉱脈が残されています。この銀鉱脈は通称”銀黒(ぎんぐろ)”というようです(写真17~18)。
大久保間歩は入坑できる距離は約150mです。坑奥にはコウモリがたくさん飛んでいました(写真19)。
大久保間歩の見学終了後,この間歩より上部にある釜屋間歩(かまやまぶ)に向かいました(写真20)。
釜屋間歩は慶長年間の掘削遺跡だそうです。間歩の坑口(写真22)を中心にして,周囲の岩盤が垂直に掘削されていますが,両袖にコの字型に岩盤が残してあるのは,坑口部分を崩壊させないための優れた岩盤掘削技術だと説明がありました(写真21)。
また,岩盤を削って造った階段遺構も,平成15年の発掘調査で発見されたそうです(写真23)。
なお,以前にこのブログで福光石(ブログ/2013-06-21)と大屋石(ブログ/2013-09-20)を紹介しましたが,石見銀山世界遺産センターの玄関に使用されていましたので,写真を撮ってきました(写真24)。玄関の階段や敷石が大屋石です(写真25~26)。柱の基礎部が福光石です(写真27)。
コメント
- いゃ〜勉強になりますね。 -- ヌシです 2013-10-28 (月) 09:52:31