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ブログ/2013-11-28

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安芸灘とびしま海道の旅(2)

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写真19 デイサイト溶結凝灰岩の露頭

ミーアキャットです。
 11月24日のエコバスツアー『安芸灘とびしま海道の旅』の午後の部です。

(7) 高田流紋岩の年代が測定された露頭
 広島県には白亜紀の高田流紋岩類が広く分布しています。しかし,この岩体には後から広島花崗岩類が貫入しているため,年代測定が困難であったと言われています。 
2012年に,大崎下島久比(くび)の,灰ケ峰層H4デイサイト部層の”黒雲母普通角閃石デイサイト溶結凝灰岩”の露頭から採取した岩石を使用して,K-Ar法により年代測定が行われたことが報告されました(地質技術 第2号 「高田流紋岩類灰ケ峰層のK-Ar年代,2012.7」:資料はヌシさん提供)。

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写真20 デイサイト溶結凝灰岩の露頭

 年代測定に使用された鉱物は,角閃石や黒雲母ですが,岩石に目を近づけて見ますと,拍子木状の真っ黒い角閃石と,薄く剥がれる感じでピカピカ光る黒雲母を見つけることができました。

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写真21 岩石の近接写真

 前記資料によりますと,角閃石のK-Ar年代は,94Ma±2.1ということです(1Maは百万年前を意味します)。広島花崗岩類の放射性年代値が概ね90-80Maに集中していることから,それより旧い上記の値は正しく測定された値と考えられるそうです。
今回のツアーで,ヌシさんが特に感動されていた露頭でした。

(8) 伊能忠敬測量絵図館
 伊能忠敬(1745~1818)は,55歳にして日本の地図を作るべく測量を始めた人ですが,文化3年(1806),大崎下島の御手洗(みたらい)を測量しています。伊能忠敬が測量している風景を描いた絵図は,日本全国でもここに展示してある2枚しかないようで,とても貴重な史料のようです。

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写真22

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写真23

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写真24

(9) 御手洗の重要伝統的建造物群保存地区
 御手洗は,風待ち・潮待ちの港町で,江戸時代の中継貿易港として栄えた町です。江戸時代の船宿や江戸~明治時代の旧い家並みがたくさん残っています。御手洗には,シーボルト(1826),吉田松陰(1853),三条実美(1864)なども立ち寄っているそうです。

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写真25

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写真26

(10) 大東寺のクスノキ
 境内にクスノキの大木があると,巨木研究家の堀越先生(95歳)に連れて行ってもらいました。ガイドさんが,『目通り幹囲がいくら位あると思われますか?』とみなさんに聞かれたら,堀越先生が『6m』と答えられ,ガイドさんがビックリ。『ひょっとしてプロですか?』 ピッタシだったようです。ちなみに根回りは13mあるそうです。ガイドさんによりますと,根はものすごく長く延びており,根の成長に伴って境内周囲の塀がひっくり返らないように,塀を浮かせて造ってあるそうです。

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写真27

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写真28

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写真29 

(11) おちょろ舟の工房
 かやネズミさんが2回紹介されていますが(ブログ/2013-10-10ブログ/2013-11-02),宮本国也さんの工房に伺いました。かやネズミさんの記事によりますと,宮本さんは84歳だそうですが,とてもお元気に舟を製作中でした。お話を聞いても,製作中の姿を拝見しても,一挙手一投足に味のある方でした。大滝秀治さんの色紙など多数の色紙が積み上げてあり,多くの方が訪れておられます。

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写真30 舟の製作中

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写真31 同上

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写真32 ねじり鉢巻きがいいですね

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写真33 おちょろ舟

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写真34 大滝秀治さんの色紙

(12) 御手洗港の江戸時代の建造物
 御手洗港には,江戸時代の高灯籠,石の太鼓橋,防波堤などがきれいに保存されています。高灯籠には天保三年と刻まれていました(1832)。防波堤はいろいろな花崗岩の巨石を積み木のようにきれいに積んで造られています。

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写真35 天保三年の高灯籠

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写真36 防波堤(写真左は岡村島)

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写真37 きれいに積まれた花崗岩

 防波堤から南方を見渡すと,来島海峡の潮流を示す信号や,しまなみ海道の来島大橋が見えました。御手洗のすぐ対岸は愛媛県今治市の岡村島です。

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写真38 遠方に来島大橋(写真左は岡村島)

(13) ホルトの木
 大崎下島大長の宇津神社の境内に巨大な『ホルトの木』があります。神社の御神木とされており,樹齢1200年以上と推定され,広島県内最大の巨樹と書いてありました。巨木研究家の堀越先生より,樹幹はほとんど空洞となっており,樹皮付近だけで生き延びていると説明がありました。ホルトという意味は,ポルトガルがなまったものなどの説があるようですが,よく分からないそうです。

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写真39 ホルトの木

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写真40 樹幹はほとんど空洞

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写真41 葉は少し紅葉していました

 近くにはイチョウの雌雄の大木もあり,銀杏(ぎんなん)が沢山落ちていました。

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写真42 多数の銀杏(ぎんなん)

(14) 大長の木造家屋
 かやネズミさんから,大長には三階建ての木造家屋があると説明がありました。港町の狭い平地を有効利用するためと,大長ミカンで賑わったかつての栄華の名残でしょうか。

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写真43 三階建ての木造家屋

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写真44 同上

 今回のエコバスツアーの記事を書き始めましたら,主なるところだけでも14箇所もあり,よく一日で回ったものだと,感動してしまいました。計画・下見をしていただいた,ヌシさん,かやネズミさんに感謝です。また,いい所がありましたら連れて行ってください(^_^)。



コメント

  • ミーアキャットさん、主なるところ15箇所じゃのー。
    野呂川ダム下流のヌシさんの巣窟がスタートじゃったでー。(^O^) -- かやネズミでがんす 2013-11-27 (水) 09:32:25
  • そうでしたね。庭の大きな桜の木に歴史を感じました。春にはさぞかし美しい花をつけることでしょうね。 -- ミーアキャットです。 2013-11-27 (水) 09:52:42
  • 当会恒例のエコバスツァー、昨年は北広島町、その前は仙酔島、その前は八幡湿原・・と皆さんのおかげで順調に回を重ねてきました。毎回のことですが学ぶことも大変多く、発見や新しい出会いなどもあり、「今回も大成功!」です。みなさんありがとうございました。さて、次回はどこに行きましょうか? -- ヌシです 2013-11-28 (木) 20:43:58
  • 東広島市自然研究会、今年のエコバスツアーは、事前に下見をされて、綿密に計画されただけに素晴らしい内容で、楽しい一日でした。案内をいただいた時から気になっていた“ホルトの木”、堀越先生のお話で一応納得したのですが、あれでもと思って手持ちの植物図鑑⦅牧野富太郎校訂「植物図鑑」第24版、大正13年(1924)・「原色牧野植物大図鑑」平成9年(1997)⦆で調べてみました。
    ホルトの木はなくて、ホルトソウがあり、室町時代末期(ポルトガルから種が島に鉄砲がつたわる少し前、1543年)にポルトガルから移植されたようですから、ホルトは間違いなくポルトガルを指しています。一方、日本一のホルトノキ(・・・の木ではない)の巨木は静岡県伊東市にあり、樹齢は300年+とされていますが、この木は日本原産で沖縄県ではごく普通に並木として使われているようです。大崎下島のホルトノキの樹齢が1200年というのはどう考えても無理なようです。1200年前と言うと、日本は平安時代で京都に都があり、ポルトガルはイスラム軍隊の侵攻で大変な時代です。  -- テチス海です 2013-11-30 (土) 20:47:47
  • ホルトノキの詳しい解説と看板記事の修正をありがとうございました。
    -- ミーアキャットです。 2013-11-30 (土) 21:49:42

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