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思い出の行事(9)

帝釈峡「幻の鍾乳洞」―カルサイトテーブルを見る

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写真1 帝釈峡花面台から 2007.09.12Fさん撮影

小ヌシです。
だいぶ前の話ですが、2007年9月、「巨樹の会」を主宰されているK会員さんから「帝釈峡の“幻の鍾乳洞”を見に行きませんか?」と誘われ、当会顧問O先生、F会員さんと訪ねました。10名ばかりが参加。
その幻の鍾乳洞の入り口には、下帝釈永野花面(はなづら)台傍の峡谷の上から帝釈峡の河床まで標高差約150mほど、急傾斜の道をジグザクに下ります。写真1

河床には魚卵状石灰岩礫がありました。初めて見ました。顧問のO先生から生成の説明に
「そうなんだ」と納得。
さらに鍾乳洞入り口は数10m上らないとたどり着けません。もうすでに足がガクガクです。健脚向きですね。写真2

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写真2 帝釈川河床 2007.09.12Fさん撮影

じつは、ネット上に「幻の鍾乳洞」見学 | 神石高原ふるさと体験ナビ (jinsekikougen.com)としてアップされていましたので、これらネットの画像も使って、少しだけお目にかけたいと思います。
この鍾乳洞は県内随一の長さがあるとか。洞内は自然そのままで、ここで初めて見せてもらったカルサイトテーブルは洞窟の奥の方に静かに広がっていました。その姿は神秘的で、言葉が出ませんでした。世界で数例の希少なものとか。しっかりと、大切に保存していかなければいけませんね。写真3,4,5

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写真3 鍾乳石 ネットより

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写真4 洞内 2007.09.12Fさん撮影

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写真5 カルサイトテーブル ネットより

なお、鍾乳洞の入り口の柵はいつも施錠されていますので、事前に案内所にご連絡を。
一時は内部に崩落の危険があるので閉鎖されていましたが、先日、「ながの村」さんに電話で問い合わせたところ、「公開しています。ガイドさんと日程、時間調整をしてください」と言われていました。

平成6(1994)年7月、新鍾乳洞発見当時、中国新聞に大きく報じられていました。特集記事の26面を左右に分けて添付しました。ご参考に。写真6,7

画像の説明
写真6 1995(平成7)年1月7日付 中国新聞 26面左

画像の説明
写真7 1995(平成7)年1月7日付 中国新聞 26面右

入口の閉鎖前、見学に誘ってくれたKさん達、O顧問さんに感謝です。
でなければ、一人では絶対に行くことのできない場所でした。
また今、持病もあって体力が落ちていますので、たどり着いて、あの神秘的な光景を再び拝むことはもうできないでしょう。残念ですが。

参考:ブログ/2013-11-12
  :ブログ/2014-02-18
  :奇岩を歩く/帝釈峡周辺
  :魚卵状石灰岩 - 熊本県高等学校教育研究会地学部会 (higo.ed.jp)
  :帝釈峡 - Wikipedia(幻の鍾乳洞)
  :ながの村 - Wikipedia



コメント

  • はじめまして。ふれあいセンターながの村の小野と申します。
    ながの村の「幻の鍾乳洞」をご紹介下さり、ありがとうございます。
    はじめ1929年(昭和4年)に発見されましたが、その後戦争などで忘れ去られ不明となっておりました。まちおこしグループ「永野を考える会」が再発見したのが1993年(平成5年)、そこからこの名前が付けられたと聞いております。
    ながの村も高齢化が進んでおり、鍾乳洞の維持管理が困難になってきておりますが、再び「幻」になってしまわぬよう、考えてゆかねばなりません。
    この度はありがとうございました。
    -- ながの村 小野 岳 2022-05-15 (日) 08:49:36
  • 小野様、この「ヌシの部屋」にようこそお出で下さいまして、ありがとうございます。また、貴重なコメントまでいただき感謝しています。どうか、今後ともよろしくお願いします。“オオサンショウウオ”の地域も高齢化、過疎という問題に直面しています。微力ながら、「出来ること」を模索しています。 -- 小ヌシです 2022-05-15 (日) 10:24:47

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