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ブログ/2023-08-08

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被爆78年「蝉しぐれ」の思い出から

-竹内喜三郎さんと“原爆市長”浜井信三さんのこと
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写真1 ネット:原爆被害:時時刻刻-1945年8月6日被爆から夜半まで-P1より

小ヌシです。
竹原市忠海町の故竹内喜三郎さんの事績を知りたく、このたびネット↓で検索したところヒットしました。広島に原爆が投下された日の県内の救援活動などの記録に載っていました。
◎原爆被害:時時刻刻-1945年8月6日被爆から夜半まで-

hiroshima-ibun.com/hp/bdia/bdia06.htm P1です。写真1,2

「しかし、最近セミの鳴き声がないなあ~、暑さのせい?耳が遠くなったから聞こえないのだろうか?」と、我が家の樹々から鳴き声が聞こえてこない不気味さを感じています。そのせいか、幼いころ(昭和30年代)よく遊びに行った近所の「竹内さん宅」の柿の木の「セミ」の鳴き声がうるさいほどだったことを思い出していました。
その「竹内(喜三郎)さん」とはご生前何度も拝見し、孫のような小生に声を掛けていただいたりした記憶はあるのですが、「県のえらい人」としか聞いていなかったので、このたびネットで探した次第です。という訳で、ネット記事をアップ ↓ 。
「この頃広島市空襲の報あり。電子爆雷使用の為全市潰滅死者算なしとの情報に接す。夜、広島市に救援物資急送手配を為す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記) 写真2,1 

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写真2 ネット:時時刻刻-1945年8月6日被爆から夜半まで-の6P

この記録から「豊田地方事務所長をされていたんだ」と知り、さらに深掘り。当時の具体的な様子をもっと詳しく知りたいと思い、本棚から3冊ほど枕元に。
「原爆市長 昭和42(1967)年 浜井信三著」
被爆当時、市の配給課長さんだった浜井信三さんの昭和20年8月6日朝からの日録、ドキュメンタリー風でよく分かり、苦労された様が如実に記されています。写真3,4

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写真3

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写真4

さらに「原爆体験記 昭和40(1965)年 編者 広島市原爆体験記刊行会 代表 広島市長 浜井信三」写真5

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写真5

もう1冊は「屍の街 昭和25(1950)年 大田洋子著」です。写真6,7

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写真6 函表

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写真7 帯

まだ全部読破していませんが、これらの内容は重厚で筆舌に尽くし難く、読書中は「胸が痛む」としか言い表せません。申し訳ないのですが、ご勘弁ください。
◎原爆投下後の広島県庁の状況について国際平和拠点ひろしま〜核兵器のない世界平和に向けて〜 (hiroshimaforpeace.com)
◎浜井信三 - Wikipedia
◎大田洋子 - Wikipedia
参考:ブログ/2019-08-23(秀敬先生)ほか
  :ブログ/2021-08-27(栗原貞子、今堀誠二氏ほか)
  :ブログ/2021-09-03(J.ハーシーさん)
  :ブログ/2022-06-26(行武正刀さん)
  :ブログ/2022-08-11(永井隆先生)



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